今日は何を歌う

日記のようなもの。

手紙の話

 

ご無沙汰しております。みなさんお元気ですか。

 

私はといえば、また同じ過ちを繰り返し、2日ほど予備校を休みました。

やっちまったな!(クールポコ)(古い)

 

さて、予備校を休んで、ひたすら体力の回復に務めたあと、気力の回復のために色々やってみたんですが、その中で一番効果が高かったのが、「手紙を書く」だったので、そのあらましをここに記録します。

 

 

まず、手紙を書くに至った経緯を。

私の過去の記事をいくつか読んでいただければ、私の考えこみがちな性格は分かってもらえるかも知れません。

とにかく悩む時は悩み抜いてしまうせいで、かなりの確率で袋小路に追い詰められ、泣く羽目になります。

しかしここで「これからずっとそんなんではやばい」と一念発起、人に頼ること、甘えることに慣れようと、人に相談するようにしようと考えました。

ところが悲しいかな、浪人生活に友達がほとんどおりませんで、頼れる存在が少なく。

どうすれば!!?と叫んで思いついたのが手紙でした。

 

 

余談ですが。

ネットネイティブ、と呼ばれる世代には近いのですが、私はLINEがどうも苦手でして。

というのも、送ったメッセージに、ものの数秒で返事を送ってくるような友達が多くて、最近ついていけなくなったんです。

LINEの既読システムはとても便利な反面、メッセージを推敲しがちな私には、2文目を書いている最中についてしまう既読が、催促にしか見えず、なかなか苦しい。

軽いやりとりやおしゃべりを文字の応酬に切り替えられることは、とても便利なんですが、それに特化しているがため、人に相談するには向かない。

そんなわけで、SNSにも長所短所が存在するという意味で、手紙じゃなくてもいいじゃない、という意見は割愛させていただきます。

 

 

さて本題です。

手紙を、信頼できる友達に許可をもらって、書いたわけなんですが。

気力の回復度が半端ない。

ほんとね、書いた後とても気持ちが楽だったんです。

 

書いた際に留意したのは、

  • 相手に話しているつもりで書く
  • 悩んでいる物事そのものよりは、むしろ話したいことを書く

ということでした。

 

冒頭で、「人に相談する」と書いた手前、相談してないことをツッコまれると痛いのですが、多分、私にとってこの内容が、広義での「相談」に含まれるのかと。

 

こじつけだと言われるとそれまでですけど。

 

人に相談するというのを、私は重く捉えがちで。

なんかこう真剣に話をするイメージが強いんです。

でも、それだけが相談ではないかもしれない。

内容の解決だけが目的ではないのかもしれない。

そう考えるとなんだか、相談しやすくなる気がして。

 

そんなふうに私の中では相談のつもりで、伝えたいことを話すように手紙を書いてみたところ。

とっても元気になりまして。

いや、我ながら嘘やん、と思う程とんでもなく精神的回復に成功して、ビックリしました。

 

だからみなさん手紙を書きましょう!と言いたいかというと、そうではなく。

なんでこんなふうに回復出来たのか、私なりに考えてみたんで、それを聞いて(読んで?)いただきたい。

 

※以降、私個人の感想です。

 

手紙を書く際、私がしたのは

【悩んでいることを一旦おいておく】

に尽きます。

すなわち、悩みを根本的に解決するのではなく、頭の外に放り出したわけです。

 

大人のみなさん、特に人生経験豊富な方にすれば「解決出来ない問題は考えない」というのは定石だろうし、私自身、相談する大人のほとんどに「若いから考えちゃうよね、でも考えても仕方ないことだから」と言われまくりました。

でも、誰一人として「考えないようにする」具体的な策は教えてくれなかった。

もちろん、その方法が人によるものだから、どうすればいいか大まかにしか言えないのは分かります。音楽聴くとか本読むとか〜と例をあげてくれた人もいました。

でも、それって行動に移す気力が存在しないと不可能なんです。

気力を回復するために必要な気力、それすらない時にどうすればいいのか。

 

私の場合、体力も気力も尽きかけていても、頭だけはクリアということがよくあって、悩みだけがどんどん深まりがちです。

どうにかして別のことを考えていても、どうしても悩みに向かってしまう。

 

どうすれば、悩みを頭から消しされるのか。

 

その問題にひとつの解決策をもたらしてくれたのが手紙です。

相手のことを考える。

手紙を通して、この内容おもしろがってくれるかな、あの話したことあったかな、と考える。

すると、自分(の中の悩み)から視点が逸れる。

 

もちろん、こんな話読んで面白いと思ってくれるはずない、とか考え始めてしまうかも知れませんが。

相手を楽しませることを第一に書いていると、自分まで楽しくなってくるんです。ほんとに。

自分にとって楽しくない話を、相手が楽しむはずないですから。

もしそんな相手なら、手紙を書く相手を変えるべき。

 

ちなみにここで手紙の特徴である「書いてから読まれるまでに一定の時間がかかる」ことが効いてきます。

SNSでは、基本的に1日のうちに返事が返ってくることが分かっているので、どうしても「相手が楽しんでくれるかどうか」を熟考しなくなりがちです。

その点、書くことそのものにそれなりの時間を要する手紙では、相手のことを考える時間がとても多くなる。

そんなわけで、手紙って案外いい気がします。

 

もちろん、手紙である必要性はなく、自分ではない誰かのことを考えることが要点なので、無理に手紙を書く相手を探さないといけない訳ではありません。

けれど、入出力の話での考察を踏まえれば、手紙を書く行為は出力にも繋がるので、より良いのではないかな、と思っています。

 

もし誰か疲れきった方がこの方法で少しでも元気になれたらいいな、と思っています。

 

 

 

 

P.S.今日のうた「零-zero-」福山雅治

今年の映画コナン「ゼロの執行人」の主題歌。まだ見に行けてないんですけど、息抜きがてらGWに友達と行こうと思ってます。曲だけでも素敵なので、よろしければ。

 

妖怪ポジティブおじさんの話

 

お久しぶりです、こんにちは。

 

今週から予備校の授業が始まりました。今日で3日経ちましたが、なかなかしんどいです。

今日なんて、眼鏡が見つからなくて遅刻して、もう休みたいな〜と思いながら行ったりしてました。いや〜しんどい。通学片道1時間で、そのうち20分は徒歩ってのはきつい。

でもね、行ったら行ったで面白いことも多いって気づきました。

 

 

表題の、妖怪ポジティブおじさんは、今日が初回授業の講師のおじさんで、予習のやり方とか勉強のやっていき方とか、オリエンテーションをメインにやってくれたんですけど。

 

なんかね、おじさんのお陰でめちゃくちゃポジティブになれたというか、斜に構えてたのがなおったんです。

 

 

私の行く予備校は浪人生のみの校舎なので、当然クラスメイトは全員浪人生なわけで、講師のみなさんも「浪人したから“負け”とか思わんでいい」とは何度も言ってくれるんだけど、この1ヶ月間、どうしても私の気持ちは切り替わりませんでした。

 

たくさん泣いた発表日以来、泣く機会はあまりなかったけど、浪人という事実がそれなりにキツくて。

多分、もともと浪人生を下に見がちだったのもあるけど、それ以上に、信頼する大人(親族ではない)に「浪人は1年棒に振ってる、海外にでも行くべきだ」って言われたのが大きかった気がする。

 

とりま、原因はあやふやだけど、強烈な劣等感に苛まれてたんです。

が。

それが今日吹き飛んだわけです。

ほんとね、世界に色がつくというと言いすぎだけど、視界は確実に鮮やかになった。

 

おじさんの喋りが私の好みだったのも一因かもしれないけど、一番の原因は、私が目を背け続けてきた事実を、何気なく言い切ったこと。

私を含む生徒全員に話していることは分かっていたけど、思わず「私のことや〜〜〜!」と小声で叫んでしまった。

 

というのも。

キラキラ輝いてる人は、楽しいことばかり経験してる訳じゃなくて、つらいこともたくさん経験している、と頭でわかっていても心からの納得には至っていなくて。

だからどうしてか、羨みこそすれ、自分はキラキラにはなれないと思っていて。自分を相対的に上げようと、周りを下げまくってた、つまりは人を見下す優越感だけで生きてきた。

 

おかげで、周りに抜かれるのが本当に苦痛で。

 

苦しくて妬ましくて悲しくて仕方ないから努力していたし、その努力自体は嘘ではなかった、と思いたいけれど、実際そんな行動理由だから、自信とか満足感とかが結構低かった。

……いや、「低い。」ですね、今もそんなに高くない。

 

そうしてそれなりにハッピーに生きてきたんですが、去年の秋口から、恐ろしく鬱っぽくなりまして。その原因を探るうちに「自己肯定感の高さと幸せ度は比例する」と思うようになったんですよ。

 

でも、そこから「どうすれば自己肯定感を上げられるか」がとても難題で、ずっと分からなかったんです。いろんな人に話を聞いたり、そういうテーマの本や記事を読んだり、たくさん試したのに。

 

 

それが今日、おじさんに答えを教えてもらいました。

 

 

ずばり、自分で決めて自分ですること、です。

 

 

それなりの年齢ですが、うちは基本的に両親が過保護なんです。おかげで、自分で決める必要も自分ひとりで何かを成し遂げる必要もなかった。親がやってくれるから。

 

自分で計画を立てることも、目標を立てることも、それを実行し達成することも、ほとんどして来なかったんです。

 

たまにやっても経験が少ないから大抵失敗するし、それを理由に人任せにして。

 

 

自分で決めたことなら、失敗も成功も必ず身になる。

 

でもわたしは自分で決めない代わりに、ずっと人のせいにし続けてきた。

 

 

それじゃあ駄目だよ、とおじさんが言ったんです。

 

 

 

いや〜〜、目を背けてたことを改めて文章にすると心が痛むんですが、こうして書くと本当にその通りだし当たり前ですね。

 

それなりの数の失敗を人のせいにしていたけど、「人のせいにしている」事実も嫌で、結果的に自分嫌いを助長していた気がするし、悪い事尽くめでした。

 

 

人生辛いことも多いけど、楽しいことも沢山あるから、それを自分が決めた道で、自分の成したことで得られたらいいな〜!

 

 

謎が解けたせいでちょっとポジティブかつハイテンションだけど、この考え方で前向きに行きたい。自分で道を選ぼう(*`・ω・´)

 

 

P.S.今日のうた 「ロキ」みきとP

ノリノリになれる曲です。よければ。

 

捨てる話

 

4月。新年度の始まる月。

新しい環境に対応するため、(もう終わってるかもしれないけど)人は、不要なものを捨てなければならなくなる。

もう着ない服は捨て、いらない教材はメルカリに出し、住む場所を変え、人は変化に対応していく。


必要のないものだと断言し、お別れする能力。

これは、全ての人に標準装備されているものではない。生きていく過程で、周囲(主に家族)から学び、体得するものだ。

だから、その能力を得られなかった人も、当然存在する。

 


例として、私を挙げてみる。

うちの両親は、ものを捨てる行為を人に任せる人と、ものを捨てられない人で、つまり良くいえば物持ちがとてもいい。

悪くいえば、うちはゴミ屋敷である。

当然、そんな二人のもとに生まれた私は、家にゴミがあるのは普通だと認識する。幼い頃は、掃除はしたことはあっても、ごみ捨てを手伝ったことがなかった。

 

しかし、小学生になると、気づく。

「うちで遊ぼうよ!」

友だちの無邪気なお誘いに、ワクワクしながら親の許可を取り、初めて他人の家にお邪魔して。

「キレイだね、○○ちゃんのおうち。」

「そう? あ、私の部屋こっちだよ。」

何事もなく流される私の感動。偶然だと思い、その日は気にしなかったけど。

あの子の家も、この子の家も、キレイで。
そうか、うちが汚いのか、と。

 

そしてその頃、テレビではゴミ屋敷という言葉が頻繁に流れていた。

テレビっ子だった私は当然、ゴミ屋敷ってなんだろう、と興味をひかれてチャンネルを回して。

取材に行った若手芸人の、大袈裟にも見えるそのリアクションに、自分の普通が他人の異常である事実を目のあたりにした。

 

 

それから10年経つ今まで、ゴミ屋敷コンプレックスを抱えて生きてきた。

その間、家に人を呼んだのは、引っ越して間もない頃で荷物が少なかった時のただ一度だけだ。

ネット回線を引いた時とか、マンションの消防点検とか、そういう事務的な状況は、見られたくない一心で、別室にこもっていた。私がこんな家に住んでいるなんて知られたくなかった。

 

けれど途中で、自分で綺麗にしないと誰も綺麗にしないと気づいて、掃除しよう、何したらいいの?と聞くようになった。

 

でも、ダメだった。

私には捨てる能力は無かった。

 

学校では綺麗にできても、家ではできない。

なぜなら、置いているもの全てが、自分が必要だと思うものだったから。

友達から初めてもらったプレゼントをラッピングしていたかわいい包装紙。素敵な色のおはじき。自分で作ったアイロンビーズ。図工で作った粘土の像。

みんな、私のお気に入りだった。

与えてもらった学習机は、すぐに授業プリントでいっぱいになった。

分からなくなったらこれを見ればいい。これは頑張って書いたから置いておきたい。もう使わないけど、使うかもしれないし。

 

 

普通の人は使わないものは捨てる。そのことに気づいたのは、恋愛系の本を散々読み漁った頃。

人を好きな気持ちを知った私は、誰もが持つ恋のお悩みを、本に相談した。そして数多の人々の失敗や経験から、多くを学びとった。

そのうちのひとつ。

お別れの時、ちゃんと泣かないと次に進めないから、気持ちを整理するのを忘れないで。

確か、そんな内容だったと思う。

読んでしばらくして、たまたま机に謎のメモ用紙の束を捨てた時、唐突に思い出して。

今、私は、これを捨てることに関して、気持ちの整理がつけられたのか、と思った。 

逆に、今までは気持ちの整理をつけられなかったから、ものを捨てられなかったのか、とも。

 

振り返ってみれば、その時歴史が動いた、と言うべきだろう。

あの気づきがなければ、私は捨てる能力は得られていなかった。

 

 

親からものの捨て方を学べなかった私の例を見て、お分かりいただけただろうか。

ものを捨てる能力、つまり、ものとのお別れの気持ちをすぐに整理する能力を、得られない人間もいる。

けれど、自分で身につけられるし、高められる。

 

これは多分、ほかのどんな能力にも適用できる話だろう。

自分のコンプレックスは、もしかしたら日常の小さな気づきで解決できるかもしれない。

新しい生活は、気づきでいっぱいのはずだ。

 

この新年度にたくさんのものを捨てられた人なら、多分気づける。

捨てられなかった人には、この文章が役に立ったらいいな。

 

 

新生活を始めた人が、いろんなことに気づいて元気になれますように。

もちろん私も、生きられますように。

 

 

 

P.S.今日のうた  SuchmosSTAY TUNE

 

 

入力と出力の話

 

4月に入って数日経つ。

私の生活はあまり変わらないけれど、桜が咲き、そして散っていく最近は、季節の変わり目についていけず、すこし風邪気味だったりする。

けれどそれ以外は多分、順調だ。

 

 

私には、自分自身を見つめるもう一人の自分が常に存在する。

ゲームや物語に没頭する時以外は、頭の中でいろんなことを考えてしまう。

この、もう一人の自分の有無を、今までは制御出来ないでいた。

というか、いるのが普通みたいな感じだった。

 

けれど最近、小さなきっかけに問題解決の糸口を見つけた。

らくがきである。

 

もともと、絵を描く事が好きで、版権キャラを描いてはもっと上手くなりたいな〜と考えていた。

けれど、勉強や部活を前に、絵を描くことは切り捨てざるを得なかったので、高校に入ってからは、描く頻度が非常に下がった。

そして高3になるとカリキュラムから美術の授業が消え、絵を描くこと自体が私の生活から消えていった。

 

ところが最近、したい時にしか勉強できないので、机に向かうきっかけ作りに、らくがきをしてみたところ、これがめちゃくちゃ良い。

自分そういえば、絵を描くの好きだったな、と思い出した。

 

我ながら快挙。

 

しかし集中力の低下で、あまり描きまくることは出来なかった。

でも、描いたあとの気分が、半端なく良かった。

 

 

ということは。

 

私の脳は、入力と出力のバランスを上手く取らないと、きちんと機能しなくなるのではないか。

 

 

勉強はある意味で入力で、つまり溜め込む作業だ。自分に足りない知識を補い、試験に通用する自分の武器を作り出す。

この意味で、テストは出力と言えるが、私の受験生活においてはテストよりも、体育の授業の方が出力の大半を占めたように思う。

要は発散だ。動けばストレス発散になるというように。私には体を動かすことの方が合っていたのだろう。

けれど、体育の授業は週3だったし、十分にそこで発散出来ていたかと言うと、それは否と言わざるを得ない。

 

だから、色々溜め込んだのだろうし、全てがうまく進まなくなった。

 

そして今回、運動以外の発散方法として、お絵描き、という頭の中のイメージの単純な出力がめちゃくちゃ有用である、ということが分かった。

実践している現在、結構上手くいっている。

 

 

出力、という意味ではこのブログも私の脳内の出力だし、実際に発散になっていると思う。

ただ、らくがきの方が、何も考えずに没入できる上、効率がいいのだ。

 

 

 

ほんと、めちゃくちゃ大発見したな自分……。

 

 

これを読んで上手くいく人がいたらいいな、と思いながら、未来の自分が入出力バランスを保っていることを願う。

 

 

 

P.S.今日の歌   UNISON SQUARE GARDENシュガーソングとビターステップ

血界戦線というアニメ主題歌で、散々いろんな所で流れていた曲。血界戦線はいいぞ。よかったら見てみてくださいな。

 

 

受験の話

 

 

どうもこんにちは。夜ならこんばんは。朝ならおはよう。

久方ぶりに書く内容が重くて申し訳ないんですけど。

 

受験、全部落ちました。全部。

 

いやー、泣いたよね。めちゃくちゃ泣いた。

受かるか分からない恐怖からの解放による安堵と、自分の結果への悔しさと。

あとは、いろいろ分析しきれないほど溜め込んだ何かが爆発した。

 

ことは後期試験の発表日に遡る。

その日は学校に報告するのと、借りていた赤本の返却を兼ねて、発表時間よりも前に家を出た。

移動中に合格発表のページを見たけど、私の数字はなかった。

友達と合流して、学校に行って、しばらくの間は「全部落ちました笑笑」と言えていた。

でも途中で担任に会って、限界を超えた。

友達を置いてトイレで散々ないてから、赤本部屋に行ったあと、担任に回収され、個室でまた泣いた。

1時間くらい泣いていたけど、ずっと担任に愚痴とか相談を聞いてもらった。優しかった。ちなみに泣きすぎて頭は痺れた。(参照泣いた話 - 今日は何を歌う)

そのあと、恩師に挨拶に行った。今年で退職なさるので、会えなくなる前に話さないといけないと思った。

恩師の前でもまた泣いた。

でも、なんとなく泣ききって、それからは沢山これからのことを話した。

友達が私を見つけてくれて、先生と一緒に話していたら、泣いていたのが嘘みたいに笑えた。友達のお陰だと思う。人と話すって大事だ。

そこからは、普通にその友達とご飯に行ってちょっと買い物して、そのまま解散した。

友達は大学が決まったからか、余裕があるようで、私を気遣いながら動いてくれたように思う。

とても優しかった。その日の話をこうして書けるまでに回復したのは、間違いなく彼女のお陰だ。

家に帰ってからは、涙は出なかった。母には軽く話した。妹は私のLINEのステータスメッセージで知ったらしい。

 

浪人だ。

1年、また勉強する。

1番恐れていたことだけど、1番可能性の高い結果だから、そこまで気落ちはしてない、と思う。

 

あれから今まで、自分が目指す学校をもう一度考えた。

1年、それだけに費やす。その価値のあるものを選びたい。

自分が何を学びたいのか。

十分に時間をくれた周囲や、また勉強する環境を与えてくれる両親には、本当に恵まれている。

だから、真剣に考えなくては、と思った。

 

 

そうしてめちゃくちゃ考えて、まとまったから今この文章を書いている。

 

 

心理学を、学びたい。

 

この一週間で、そういう結論になった。

 

あいにく東京大学で心理学を学ぶには、文転しなければならない。

けれど一年でそこに行ける自信もないし、目指したいとも思えなくて。

だから、京大かな、と思っている。

阪大もいいけど。なんとなく、悔しいから。

 

とりあえず。だけど決めた。

 

塾も決めた。京大コース。

変わるなら半年後。けど、その時自分がどうなりたいかで決めればいいと思う。

 

好きなことを学べることへの感謝をもって、この1年頑張ることを誓います。

 

なんつって。

 

 

あの子の話 2

 

数時間前に投稿したばかりだけど、忘れたくないしありのままに感情を書きたいので、珍しく連続更新する。

明日と明後日、合格発表なのも理由のひとつだが。

今更何も言えない。ゆったりするぞ、進退決まるまでは!

 

話が逸れた。

あの子の話をさせてください。

 

いや、その前にtwitterについて。

じつはこのブログ用にtwitterアカウント(3つ目)を取得していて、ブログを通して様々な方と繋がらせていただいている。

挨拶もろくにできていなかったりする。オタク界隈だと無言フォローはザラなのだ。が、こちら界隈ではそうではないのかもしれない、ということを失念していた。相互なのに挨拶出来てない皆さま、すみません。

 

と、いうわけでいちおう、アカウントはこちら

 

 

さて。

本題です。

 

まず、えっと、あの子とグレイテストショーマンを観に行ってきたんです。2人で。私はデートの気分。

だから、服も可愛いのを着たかったんですけど、あいにくの雨だし、気温も低めだったしでパンツスタイルでした。

そんなわけで最低限のオシャレとしてイヤリングをつけ、彼女との待ち合わせ場所へ。

やってきた彼女は、髪型を少し変えていたけど変わらぬあの子で、久しぶりに遊ぶということをすぐに忘れるほどでした。

しかもよく見たらイヤリング…

おまえそれ!!!!私が誕生日にあげたやつ!!!!似合う!!!!!!

叫びそうだったんですけど、喋り始めてたのと改めて言うのが小っ恥ずかしいのとで、頭の片隅に全力で押し込めて。

少し遅めのランチをとってから夕方枠で観よう、というプランだったのでぶらりとカフェへ。

平日だったからか、時間の割に混んでおらずお互い近況の報告や話したいことをどんどん喋りました。

喋った内容は文字にする程でもないので割愛しますが、内容がそういうものでも、好きな人との会話というのは楽しいもので。向かい合わせだと視線を合わせづらいなと思いながらも、笑い合える状況にめちゃくちゃ感謝しながら、終始楽しく喋りました。

めちゃくちゃハッピーでした。

あ、ちなみにそこでタイミング見計らって「(イヤリング)つけてくれてありがとう。」っていったら笑顔で「こちらこそ。」って返してくれました。

やめろ!!!!!不意打ちの笑顔は心臓に悪い!好き!!!!!!!

と思いながら心のシャッターを切りました。

 

混んできたのでそこから出て、でも時間があるのでショッピングでも、となり、ウィンドウショッピング開始。

思い出した必需品を買ったり、私の買い物に付き合ってもらったりしました。

なんだかんだ、買い物を一緒にするのははじめてに近かった、というか友達と買い物するの自体が珍しくて(私が買い物という行為にコンプレックスを持っているため)、ドキドキの連続でした。

買い物って基本家族とばかりで、服の趣味はあまり家族と合わないので、かわいいとか使いたいとか、そういう単純な感情を共有出来たのがすごく嬉しかったです。

まあ、相手があの子だから、なのかもしれないですけど。

結構時間があったのと、それ以外にできることが無かったのとで、本当にじっくり悩んで選べて大満足でした。

買い物で満足できることが基本無かった(勉強しないとと思うと悩む時間があまりなかった)ので、それだけでめちゃくちゃハッピーでした。

悩むのに付き合ってくれた彼女にも感謝です。

 

そこから映画館に行き、発券して、飲み物等を買って入場。

しかし座ってしばらくしてから事件が。

なんと。

彼女がチキンとポテトのセットを買っていたのですが。

「ポテトいる?」と言ってきて。

「いいよ、私あげられるものないし〜」

「嫌い?」

「いや、別に好きやで?」

という普通のやり取りをしたのち。

「じゃあ」って言って。

何したと思います?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、あーん(フォークでさしたポテトを差し出しながら)」

 

 

この時私、めちゃくちゃ冷静でした。びっくりしすぎて。

えっと…、これはフォークを受け取ればいいのか?と思ってちらってみたら、有無を言わさぬ目。

(そのまま食べなさいと?)

って必死に目で訴えたんですけど、フォークをさらに差し出されるだけで。

思い切ってそのまま頂いたんですけど。

おまえ!!!!!!なんで!!!!もっと好きになっちゃうだろ!!!!やめろ!!!!!!!!!でもありがとう!!!!!!!!

心は大荒れ。ドキドキのバックバクです。

今書いててもドキドキです。あいつ絶対そんな気なしにやってるよ……やめてくれよ…期待するじゃん……と思いながら。席に座り直して何事も無かったかのようにトークを再開し、

た、

はずが。

 

「はい、もう一個」

 

 

待て、お前待て、と思いながらも嬉しくて断れない私は言われるがままに食べ。

 

結局3回くらい貰いました。

 

 

今年最大の良いことです。好きな人からあーんしてもらえるとか、どんだけの幸運を詰め込んだんだ?もしかして、今年はもう残り全部不幸なことばかり起こるのでは?

 

そんな風に胸中は大嵐のまま、劇場が暗くなり、映画が始まりました。

映画に関する感想は映画の話 - 今日は何を歌うをご覧いただければ。

でもほんと、劇中も隣が時々気になって。

付き合ってたら手でも繋ぎたかったな〜なんて思ったりしながら見ました。

だって素敵な愛のお話が沢山あるから。どうしても好きの気持ちが溢れそうで。

代わりにSサイズのドリンクを握りしめながら感涙していました。文字にすると面白いなこれ。

 

 

そんな感じで映画を見おえ、お手洗いを済ませて映画館を出るかと思いきや、2人して「これは買わなきゃね」ってサントラとパンフレットを購入して、映画館をあとにしました。

そこから電車で帰宅。電車内は少し混んでいたけど並んで座れたので、小声でおしゃべりしてました。

そこでも本当にとりとめのない話ばかりしてました。

でもめちゃくちゃ楽しかったです。

今思えばそこで肩に寄りかかるくらいすれば良かったかな、とも思いますが、身長一緒くらいなのでそれはそれで変だったかも。

 そういうわけで何の後悔もなく。

彼女はそのまま電車を降りていったし、私はそのまま帰りました。

めちゃくちゃハッピーに、映画デートは終わりましたとさ、ちゃんちゃん。

 

 

 

あ、うそ。

そのあと私彼女に言い忘れたこと思い出して。

髪型似合ってたよって。

家に着いてからLINEで伝えたら、ありがとうって返ってきたので。

伝えてよかったなって思いました。好きだなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

P.S.一瞬告ろうと思ったけど、この時間を失いたくなかったのと、後半に二人きりの時間が無かったのとで断念しました。でも、これで良かったな、という気もする。

 

 

 

P.S.2

今日のうた『瑠璃色の地球』松田聖子

実は映画「打ち上げ花火〜(略)」で広瀬すずさんも歌っているらしい(観てない)ので、そちらもよければ。

 

 

P.S.3

リンクの上手いやり方覚えたんです。やっと笑

これで気軽にリンク貼れるから、ばんばんやってこうと思います。

映画の話

 

グレイテストショーマンを観てきたので、この興奮と感動とが綯い交ぜになった状態で、どうにか感想を書こうと思う。

 

 

 私のTwitterをご覧の方は、「感想書けない!」という呟きをご覧になったかもしれない。

 

うまく映画の内容をまとめてからでないと、話してはいけないのでは、と思っていた。

 

しかし、自分の過去の記事を振り返っているうちに、「なんだ、感情をそのままぶつければいいんだ。上手くやろうなんて考えても無駄だ。」ということに気づいたので、以降は熱く語るだけとなる。

 

私のブログなのでね。自由だよね。

 

 

 

さて、まずグレイテストショーマンという作品に関して、自分が度肝を抜かれたのは、画の美しさだ。

実はこれは最近の映画では注力されがちな部分だが、この映画は昨今のものでも群を抜いている、と思う。

画の美しさ、と言ってもそれはクオリティだけに由来するような、単純なものではない。

画面の中に何人いて、衣装はどんな色で、対称性がどのように作られていて、人物がどっちからどっちに向かうのか、そういう様々なものに起因するものだ。

シン・ゴジラを見た時も同様の感触だったことを思い出す。

個人的には、この作品においては細部へのこだわりがすごいと思っていて、それが華やかさと素朴さの対比や、貧富の差をはっきりと観客に見せつけている、と感じた。

 

 

次が音楽。

単なるミュージカル映画、と言い切るには惜しい気さえする歌声の美しさ。

正直、俳優とかハリウッドとかいう方面には明るくない。主演のヒュー・ジャックマンウルヴァリンの人だということも、家でパンフレットを見て知ったくらいだ。

だから、劇団四季とかそういう、生のミュージカルには勝てないのでは?と思ったりもしていた。

でも杞憂だった。ほんと。

正直、ハリウッドで予算が莫大だからできることだな、と思ったりもしたが、楽器から何からすべてがハイレベルだった。

ジェニー・リンドという役に関してはオペラ部分のみスタント(?)を使用したようだが、それ以外はみな本人が歌っている、と知った時の驚きは計り知れない。

 

嘘だろ、ヒュー・ジャックマンおまえ!こんなに歌上手くてダンスまで出来たら神じゃん…。

恐るべしヒュー・ジャックマン

 

しかし恐るべきは彼だけでなく、妻やサーカスのメンバー達、それぞれがとんでもない歌唱力を持ち合わせていた。

本当、プロってすごい。私も歌が好きだからああなりたいけど、なんかすごすぎて無理だ!ってなるくらいすごい。

 

だからサントラを買ってくれ。日本語訳付きだし。

 

 

最後はダンス。

特筆すべきはゼンデイヤ演じる空中ブランコ乗りの美女。

マジで美人。そんでダンスがちょーうまい。正直、この人のダンスを見るために映画を見に行ってもいいと思うくらい。

最初、空中ブランコと聞いて、ふーんなるほど美人だな〜くらいに思っていたら。

彼女が恋に落ち、そして自分から恋を終わらせようとするシーンで、とんでもないパフォーマンスが待っていた。

 

おま、ロープて!!!!!待って!!!!

 

調べたらエアリアル、というみたい。エアリアルロープ?という表現があるのかは分からないんだけど、とりあえずロープと己を自在に操りながら、空中を舞う、彼女の姿は、美しさとしなやかさを全身を使って表現するかのようで。

いや、もうほんと綺麗なのよ。綺麗すぎてビビるくらい。

しかも、めちゃくちゃカッコイイ。素敵なんだ〜本当に。

少ししかしらないけど、大技じゃなかったかこれ??みたいなのもあった。ゼンデイヤさんの、練習具合が分かる、とんでもない出来上がりだった。

 

 

こんなに書いたけど、彼女のはダンス、というには少し誤りがあるかもしれない。

けど、ダンスがすごい、というのは彼女に限らず。

ミュージカル映画であり、題材がショーであるので、ショーの出演者はみな踊っているし、絶望のふちに立っている時も、嬉しくて有頂天になっている時も歌い踊る。

つまり半分くらいは踊っている。

しかも完璧に。

こちらが踊り出したくなるほど、楽しく踊る。

めちゃくちゃカッコイイ。

 

 

 

 

そんなわけで、全部最高なグレイテストショーマン、要所要所で泣き、計7回は確実に泣きました。アイメイクしてなくて良かった。

This is meとかめちゃくちゃ自分を肯定できる名曲だった。

個人的な話をすれば、受験関連でかなり絶望を味わったので、生きてさえいればいい!っていう強いメッセージを受け取って、ボロボロ涙が出たし。

生きてていいんだ〜って。嬉しかった。

 

制作側もそれは意図してるみたいで(パンフレットより)、この作品の魅力として「どんな人間にも己を愛することを否定しない」主人公バーナムの行動が挙げられていた。

自分を大切にするのが苦手だな、と最近気づいた私としてはとても心に来る、良い作品だったのだと思う。

 

よかった、見れて。

 

もしここまで読んで見たくなったら是非、劇場へ!あの音楽は映画館で見ないと損だから!

 

 

 

 

というわけで感想は以上。

次は一緒に見に行ってくれたあの子の話を書こう。