今日は何を歌う

日記のようなもの。

7月の話

 

最低でも月1で投稿しようと決意していたはずなのに、7月はあっという間に過ぎてしまって、今日で終わろうとしています。早い。

大学の話をしようとか、ゲームの話をしようとか、色々と考えていたのだけれど、横で母と妹が話しているせいで何も書けなくなっているから、脳直で7月の生活から感じたことを綴ろうと思います。

 

まず、「です・ます口調」と「だ・である口調」について。

大学の期末試験期間に入ったんですけど、試験の代わりにレポートを提出する講義があるんです。実際そのレポートに追われる身なのですが、その時の文調が「だ・である」なんですよ。「です・ます」を使ってると注意されちゃうんです。

そのせいなのか、このブログ内でも気分に文調が左右されることが多くて、読み返すとムズムズします。ただ、不思議なことに気分に合った文調の話しか引き当てなかったりするので、そんな時は自己同一性の面白さを感じます。人間って不思議です。

 

次は、、、夏について。

いやもう最近暑過ぎやしませんかね。梅雨が最近まで長引いていたのに、開けた途端猛暑。令和ちゃんしっかりして!!!

夏という概念は好きなんです。花火だとか祭りだとか、海とかキャンプとか。でも実際に経験するとなると話は別です。家から最寄まで歩く道すがらでメイクは崩れるわ、日に焼けるわ、という辛さ。去年と比べればとても健康的な生活をしていると思うんですけど、それでも夏バテしそうなのが今から怖いです。熱中症でお亡くなりになる方の数も多くて、早く秋になってほしいなと思います。

それはそれとして、花火には行くんですけどね。

 

時間的に最後になりますが、重い話を。

京都アニメーションさんの事件について。

恐ろしい事件が起こったことに初めは気づけなくて、「火事か、大変だな。でも京都だし(消防が来て)すぐ鎮火するでしょ。」なんて思っていました。だからツイッターに載せられていた火事の動画を見てもあまり何も感じはしなかったんです。授業の合間に知ったのもあって、正確に把握することのないまま夜を迎えました。そこでようやく事の重大さを知って、日中の己の行動に吐き気がしました。

幸い、私は今まで火事の恐ろしさを体験したことはありません。けれど様々な作品を通して想像したことは幾度となくあります。毎度、眠れなくなるほど恐怖していました。こんなことはあってはならないと思っていたはずなんです。なのに火事を甘く見ていた。

次々に判明していく事件の実情を追いながら、血の気が引いていくのを感じました。生きていてくれと、他人の命を願ったのは東日本大震災ぶりだったような気がします。

ネットから離れるべきだと思いましたが、行動できなかったことを覚えています。

今も、事件は尾を引いたまま、ジャーナリズムの問題に形を変えたりしていますが、ニュースのトピックからは外れていきます。気づけば自分の毎日に追われて、遠い地の話を忘れかけています。

人間とはそういうものだと理解していても、その事実に愕然としたり、そんな自分がいることに安堵したりします。人間の複雑さを見に染みて感じるなかで、京アニ関係者の皆さんの安心を願いながら、募金するためにやりくりしようとしています。

この話に上手いまとめ方など無いような気がしますが、日々模索することで一旦区切ろうと思います。

 

 

来月の末には私はこの記事内容をあまり覚えていないかもしれません。

けど、読み返すことで自分の何かに繋がればいいなと思います。

 

 

 

 

0時過ぎちゃったな。

明日もちゃんと目覚められますように。

おやすみなさ〜い。