選択疲労の話

 

人間、誰しも何かを選択して生きている。

というのは分かっていても、決めるのがしんどくて、いつも選択を先延ばしにしてしまう。

 

お風呂の話だ。

うちの家では父の帰りが遅いので、基本的に私と妹と母が順番にお風呂に入る。

去年までは、一番風呂が好きな私が最初だったのだが、今は少し違う。私が塾から帰るまでに妹が入り、そして私、母の順。

なのだが。

うちの妹が現在反抗期なんだな。

面倒なことこの上ない。本当に。

母のいうことに何でもかんでも噛み付く上に結局暴れ回った後はケロッとしている。それでいて私の言うことはなんだかんだ聞く。

母が私に、妹を注意してくれ、というのももっともな話だと思う。

 

んだけどね。

いや、私だってしんどいんですよ。勉強して帰ってきて、人を叱るのは疲れるよ。でもお母さんが大変なのも知ってるし、お弁当作ってもらってる身なので、頼まれることはできる限りしているつもりだ。

 

そうして頑張っていると、実はその間、知らずに色んなことを決めているということに、最近気づいた。

 

叱る、とか注意するとか、そういう行動にはタイミングと口調と内容の3つを抑えないといけない、と思う。自論だけど。

タイミングが悪いと余計に手間を増やすだけになるし、口調も、口論を引き起こす事があるし。内容は、いかに簡潔に必要なことを相手に叩き込むか。これをミスると長丁場になる。

そんな訳で色々考えて話さなくちゃならない。

 

そして、この考えて決定するという行為は、実は体にめっちゃ負担のかかることらしい。

一見誰もが当たり前のようにこなしている、簡単な仕事も、大量にするとなると疲れる。選択したり決定したりすることもそれと同じ。

これもまた長文読解の英文からの受け売りなんだけど、それを明らかにした実験がある。アメリカだったかどこかなんだけど、スーパーにいるお客さんたちを対象に、買い物をする前と後で簡単な計算問題を、時間制限なしで、できるだけ多く解いてもらったんだって。

そしたら、なんと、買い物後の人たちの方が圧倒的に短時間、少量の問題でギブアップしたらしい。

 

これが事実だとすると(多分本当だと思うけど)やっぱり選択って疲れるんだな、と思う。

受験生としては、やることをきっちり決めておけば楽なんだろうなって考えるべきなのかもしれない。けど、日によって家での行動がさっきみたいに変わるような私としては、日々決める方がいいのかな。

 

まあ、悩むのは問題相手だけで十分だとは自分でも思うから、日々の行動をパターン化できたら一番なのかな。

 

それはそれで毎日楽しいのか疑問だけど。

まあ、日々楽しくがモットーなので、今日もお風呂で歌でも歌って気楽に行こう。