今日は何を歌う

日記のようなもの。

曖昧な話

 

最近、曖昧って良いことなのでは?と思い始めました。

 

日本は明治維新以降、西洋文化に憧れて、欧米化がめちゃくちゃ進行した国です。

そこには謎の「英語かっこいい」思想のような、憧れゆえの同一化があったのでしょう。

その頃、日本に「断定って素晴らしい」みたいな風潮がやってきた。

いわゆるイエスノー文化ってやつです。

 

で、それが現在蔓延してる気がしています。

何も「断定は悪い文化である」と決めつけ(それこそ断定し)たい訳ではありません。

 

ただ、そこに息苦しさを感じる。

 

例えば、「性別」という概念。

メディアに取り上げられることで、LGBTが有名になった現在、結局のところ異性愛者なのか同性愛者なのか両性愛者なのか、と結論を迫る場面をテレビ等で目にします。

こういう時に、私にも当てはまるなー、私ってレズなのかバイなのか分かんないなーとモヤモヤしがちなんです。

でも気づきました。

そもそもLGBTではなくて、LGBT“Q”のはずだと。

各種メディアでもLGBTQのQまでは取り上げられていない気がしますが、この最後が重要。

なぜならこのQ、クエスチョン、すなわち「よくわかんない」なのです。

めちゃくちゃ曖昧ですが、とても画期的。

苦しまなくていい。そういうの気にしなくていいよ、と言われているかのような曖昧な分類。

 

これに救われる人って少なくないはずなのに、LGBTで止まっちゃうのは、人が安心を求めてるからではないでしょうか。

 

 

 

断定すると人は安心を覚えます。

なぜなら「正体を知る」ことができるからです。

例えば「ぶつかり男」問題。

Twitterで話題になり、警察も動き出したそうですが、名称がつくことによって一気に事態が好転しました。

この様に、人は「名付けること」で正確に物事を把握し考えられるようになります。

つまりは具体化です。

それゆえ、よく分からないものは、輪郭を取れず、恐怖する。(ある意味、オバケが怖いのもこれに類する気がします。)

だからとりあえず、お前は一体何者なんだ、なんてセリフが出てくるわけです。(例:ロケット団など)

 

 

そんなふうに不安を解消できる「断定」ですから、不安を煽る広告に溢れた現代で、流行するのも当たり前かもしれません。そして、曖昧さが失われていくのもまた道理なのかも。

 

けれど、曖昧であることは悪いことではないはずです。 

よく分からないけど好き、とか、嫌いなところもあるけど大嫌いではなくむしろ好ましい、とか、人と人との関係性ではよくある話でしょう。

ファンというほどコンサートには行かないけどテレビに映ってたら見る、とか、文章は好きだけど作者は苦手、とかもあるかもしれません。

好きなのか嫌いなのか、やりたいかやりたくないか、ハッキリしろと言われても出来なくて、どっちでもいいなんてザラです。

むしろ完全に判別できる人の方がやばい。

加えて、諸行無常を忘れてもいけません。つまり、人の心はうつろうし、数年で考え方が変わることだってある。

人には常に揺らぎがあって、けれどそれは人の可能性でもある。

 

だから、曖昧って良いことだと思います。

 

 

ただもちろん、はっきりすべきこともあります。

だから、そこをきちんと判断していけるようになれたら、ハッピーになれると思うので、これからまた考えていきたいです。

 

 

 

P.S.今日のうた「ジョバイロポルノグラフィティ

 

 

 

 

 

 

 

GWの話

 

お久しぶりです、こんにちは。

もう5月も半ばというのにGWの話をします。

なぜって色々あったのでね。

日記に近いですし。

 

 

今年の私にGWという長期休暇は存在しませんでした。

ご存知の通り、浪人生でございますから、日夜勉強しなくちゃいけませんのでね。

でも、世間様はそうではない訳でして、他県に進学した友達なぞはこのタイミングで帰省なさる。

すると、その子を中心に集まるわけですね。

 

 

で、何をとち狂ったか、私はそういう場に3度も参加しました。5日間のあいだに。

あの時の私は多分、アドレナリンで生きていけてたと、今になって思います。

 

もちろん、その場はとても楽しかったです。久々に会う面々ばかりでしたから、積もる話なんてのはありまくりで。馬鹿みたいに騒ぎましたけど、その中で浪人生は私だけでしたね。みんなああいう日々を送ってるんだ、私もそっち側に行きたいな〜と、ぼんやり思ってました。

 

そんなこんなで楽しく過ごしていたんですが。

 

GW明けて7日月曜、異変は起こりました。

 

起きられないんです、全く。

 

前日、生理初日のくせに遊んだりして苦しかったので、休まないと持たないか、そーか仕方ないわ、などと思って月曜は過ぎたんですが。

 

火曜も全く動けない。

 

いやちょっと待ってくれよ、と思いつつ動く気力もないもんですから何も出来ず。

唯一、お手紙の返事をもらったのを支えに、頑張らなきゃと発起したのが水曜の夜。

そして、木曜になってやっと、プリントの提出だけでもしようと、お昼頃から予備校に行きまして、担任にわけを話しつつ、ちょっと無理したっぽくて〜と言いながら用が終わったら即帰宅しました。

予備校という場が無理すぎた。

ここまで来ると予想通りでしょう、金曜は全く動けませんでした。

 

つまり、1週間を棒に振りました。

 

いや〜この事実がメンタルに刺さります。何とかしていけたらよかったですけど、行くという選択肢が無い1週間でしたから、どうしようもなかった、はずです。

 

でも今になると、私が自分のことなんもわかってないことを痛感します。

まだ高2の頃と同じ体力があると思ってる。

 

高3の1年間、体育以外で運動することもなく、机に向かわなくちゃいけなかった人間が、翌年すぐに元気になるはずないのです。

何ならもともと軟弱なのに。蕁麻疹が出始めたら相当やばいのを、いけるでしょ、と強引に押し進めたし。

 

突如病に倒れる中年みたいですけど、自分の体は自分が1番わからないのを理解しました。

 

あと、自分が「他人の多いところでは状態異常をくらう」のも。

予備校がしんどいんですよ。それで理由を考えてたら、単純に人混みがしんどいのが分かって。

しかも予備校って勉強するところだし、私が友達作り下手なのも手伝って、同じクラスに喋る人がいない。めっちゃ孤独なんですね。

そんでもって教室内の人と人の間隔が狭いもんですから、たまったもんじゃなかったわけです。こんなになるまで気づけなかったんですけどね。

 

これを担任に話して、席替えで最後列の一人席に飛ばしてもらえたので、ギリギリ生きています。

まあ今週もあんまり行けてないんですけど。

 

自分の気力の八割くらいを使って日々を過ごせるようになりたいです。余裕を持ちたいなー。

 

 

 

 P.S.今日の歌は、アニメのOPです。とりあえずめちゃくちゃ可愛いから見てほしい。漫画もWeb上で読めるので、良ければ検索してください。

https://youtu.be/XjHqfhOcK_0

手紙の話

 

ご無沙汰しております。みなさんお元気ですか。

 

私はといえば、また同じ過ちを繰り返し、2日ほど予備校を休みました。

やっちまったな!(クールポコ)(古い)

 

さて、予備校を休んで、ひたすら体力の回復に務めたあと、気力の回復のために色々やってみたんですが、その中で一番効果が高かったのが、「手紙を書く」だったので、そのあらましをここに記録します。

 

 

まず、手紙を書くに至った経緯を。

私の過去の記事をいくつか読んでいただければ、私の考えこみがちな性格は分かってもらえるかも知れません。

とにかく悩む時は悩み抜いてしまうせいで、かなりの確率で袋小路に追い詰められ、泣く羽目になります。

しかしここで「これからずっとそんなんではやばい」と一念発起、人に頼ること、甘えることに慣れようと、人に相談するようにしようと考えました。

ところが悲しいかな、浪人生活に友達がほとんどおりませんで、頼れる存在が少なく。

どうすれば!!?と叫んで思いついたのが手紙でした。

 

 

余談ですが。

ネットネイティブ、と呼ばれる世代には近いのですが、私はLINEがどうも苦手でして。

というのも、送ったメッセージに、ものの数秒で返事を送ってくるような友達が多くて、最近ついていけなくなったんです。

LINEの既読システムはとても便利な反面、メッセージを推敲しがちな私には、2文目を書いている最中についてしまう既読が、催促にしか見えず、なかなか苦しい。

軽いやりとりやおしゃべりを文字の応酬に切り替えられることは、とても便利なんですが、それに特化しているがため、人に相談するには向かない。

そんなわけで、SNSにも長所短所が存在するという意味で、手紙じゃなくてもいいじゃない、という意見は割愛させていただきます。

 

 

さて本題です。

手紙を、信頼できる友達に許可をもらって、書いたわけなんですが。

気力の回復度が半端ない。

ほんとね、書いた後とても気持ちが楽だったんです。

 

書いた際に留意したのは、

  • 相手に話しているつもりで書く
  • 悩んでいる物事そのものよりは、むしろ話したいことを書く

ということでした。

 

冒頭で、「人に相談する」と書いた手前、相談してないことをツッコまれると痛いのですが、多分、私にとってこの内容が、広義での「相談」に含まれるのかと。

 

こじつけだと言われるとそれまでですけど。

 

人に相談するというのを、私は重く捉えがちで。

なんかこう真剣に話をするイメージが強いんです。

でも、それだけが相談ではないかもしれない。

内容の解決だけが目的ではないのかもしれない。

そう考えるとなんだか、相談しやすくなる気がして。

 

そんなふうに私の中では相談のつもりで、伝えたいことを話すように手紙を書いてみたところ。

とっても元気になりまして。

いや、我ながら嘘やん、と思う程とんでもなく精神的回復に成功して、ビックリしました。

 

だからみなさん手紙を書きましょう!と言いたいかというと、そうではなく。

なんでこんなふうに回復出来たのか、私なりに考えてみたんで、それを聞いて(読んで?)いただきたい。

 

※以降、私個人の感想です。

 

手紙を書く際、私がしたのは

【悩んでいることを一旦おいておく】

に尽きます。

すなわち、悩みを根本的に解決するのではなく、頭の外に放り出したわけです。

 

大人のみなさん、特に人生経験豊富な方にすれば「解決出来ない問題は考えない」というのは定石だろうし、私自身、相談する大人のほとんどに「若いから考えちゃうよね、でも考えても仕方ないことだから」と言われまくりました。

でも、誰一人として「考えないようにする」具体的な策は教えてくれなかった。

もちろん、その方法が人によるものだから、どうすればいいか大まかにしか言えないのは分かります。音楽聴くとか本読むとか〜と例をあげてくれた人もいました。

でも、それって行動に移す気力が存在しないと不可能なんです。

気力を回復するために必要な気力、それすらない時にどうすればいいのか。

 

私の場合、体力も気力も尽きかけていても、頭だけはクリアということがよくあって、悩みだけがどんどん深まりがちです。

どうにかして別のことを考えていても、どうしても悩みに向かってしまう。

 

どうすれば、悩みを頭から消しされるのか。

 

その問題にひとつの解決策をもたらしてくれたのが手紙です。

相手のことを考える。

手紙を通して、この内容おもしろがってくれるかな、あの話したことあったかな、と考える。

すると、自分(の中の悩み)から視点が逸れる。

 

もちろん、こんな話読んで面白いと思ってくれるはずない、とか考え始めてしまうかも知れませんが。

相手を楽しませることを第一に書いていると、自分まで楽しくなってくるんです。ほんとに。

自分にとって楽しくない話を、相手が楽しむはずないですから。

もしそんな相手なら、手紙を書く相手を変えるべき。

 

ちなみにここで手紙の特徴である「書いてから読まれるまでに一定の時間がかかる」ことが効いてきます。

SNSでは、基本的に1日のうちに返事が返ってくることが分かっているので、どうしても「相手が楽しんでくれるかどうか」を熟考しなくなりがちです。

その点、書くことそのものにそれなりの時間を要する手紙では、相手のことを考える時間がとても多くなる。

そんなわけで、手紙って案外いい気がします。

 

もちろん、手紙である必要性はなく、自分ではない誰かのことを考えることが要点なので、無理に手紙を書く相手を探さないといけない訳ではありません。

けれど、入出力の話での考察を踏まえれば、手紙を書く行為は出力にも繋がるので、より良いのではないかな、と思っています。

 

もし誰か疲れきった方がこの方法で少しでも元気になれたらいいな、と思っています。

 

 

 

 

P.S.今日のうた「零-zero-」福山雅治

今年の映画コナン「ゼロの執行人」の主題歌。まだ見に行けてないんですけど、息抜きがてらGWに友達と行こうと思ってます。曲だけでも素敵なので、よろしければ。

 

妖怪ポジティブおじさんの話

 

お久しぶりです、こんにちは。

 

今週から予備校の授業が始まりました。今日で3日経ちましたが、なかなかしんどいです。

今日なんて、眼鏡が見つからなくて遅刻して、もう休みたいな〜と思いながら行ったりしてました。いや〜しんどい。通学片道1時間で、そのうち20分は徒歩ってのはきつい。

でもね、行ったら行ったで面白いことも多いって気づきました。

 

 

表題の、妖怪ポジティブおじさんは、今日が初回授業の講師のおじさんで、予習のやり方とか勉強のやっていき方とか、オリエンテーションをメインにやってくれたんですけど。

 

なんかね、おじさんのお陰でめちゃくちゃポジティブになれたというか、斜に構えてたのがなおったんです。

 

 

私の行く予備校は浪人生のみの校舎なので、当然クラスメイトは全員浪人生なわけで、講師のみなさんも「浪人したから“負け”とか思わんでいい」とは何度も言ってくれるんだけど、この1ヶ月間、どうしても私の気持ちは切り替わりませんでした。

 

たくさん泣いた発表日以来、泣く機会はあまりなかったけど、浪人という事実がそれなりにキツくて。

多分、もともと浪人生を下に見がちだったのもあるけど、それ以上に、信頼する大人(親族ではない)に「浪人は1年棒に振ってる、海外にでも行くべきだ」って言われたのが大きかった気がする。

 

とりま、原因はあやふやだけど、強烈な劣等感に苛まれてたんです。

が。

それが今日吹き飛んだわけです。

ほんとね、世界に色がつくというと言いすぎだけど、視界は確実に鮮やかになった。

 

おじさんの喋りが私の好みだったのも一因かもしれないけど、一番の原因は、私が目を背け続けてきた事実を、何気なく言い切ったこと。

私を含む生徒全員に話していることは分かっていたけど、思わず「私のことや〜〜〜!」と小声で叫んでしまった。

 

というのも。

キラキラ輝いてる人は、楽しいことばかり経験してる訳じゃなくて、つらいこともたくさん経験している、と頭でわかっていても心からの納得には至っていなくて。

だからどうしてか、羨みこそすれ、自分はキラキラにはなれないと思っていて。自分を相対的に上げようと、周りを下げまくってた、つまりは人を見下す優越感だけで生きてきた。

 

おかげで、周りに抜かれるのが本当に苦痛で。

 

苦しくて妬ましくて悲しくて仕方ないから努力していたし、その努力自体は嘘ではなかった、と思いたいけれど、実際そんな行動理由だから、自信とか満足感とかが結構低かった。

……いや、「低い。」ですね、今もそんなに高くない。

 

そうしてそれなりにハッピーに生きてきたんですが、去年の秋口から、恐ろしく鬱っぽくなりまして。その原因を探るうちに「自己肯定感の高さと幸せ度は比例する」と思うようになったんですよ。

 

でも、そこから「どうすれば自己肯定感を上げられるか」がとても難題で、ずっと分からなかったんです。いろんな人に話を聞いたり、そういうテーマの本や記事を読んだり、たくさん試したのに。

 

 

それが今日、おじさんに答えを教えてもらいました。

 

 

ずばり、自分で決めて自分ですること、です。

 

 

それなりの年齢ですが、うちは基本的に両親が過保護なんです。おかげで、自分で決める必要も自分ひとりで何かを成し遂げる必要もなかった。親がやってくれるから。

 

自分で計画を立てることも、目標を立てることも、それを実行し達成することも、ほとんどして来なかったんです。

 

たまにやっても経験が少ないから大抵失敗するし、それを理由に人任せにして。

 

 

自分で決めたことなら、失敗も成功も必ず身になる。

 

でもわたしは自分で決めない代わりに、ずっと人のせいにし続けてきた。

 

 

それじゃあ駄目だよ、とおじさんが言ったんです。

 

 

 

いや〜〜、目を背けてたことを改めて文章にすると心が痛むんですが、こうして書くと本当にその通りだし当たり前ですね。

 

それなりの数の失敗を人のせいにしていたけど、「人のせいにしている」事実も嫌で、結果的に自分嫌いを助長していた気がするし、悪い事尽くめでした。

 

 

人生辛いことも多いけど、楽しいことも沢山あるから、それを自分が決めた道で、自分の成したことで得られたらいいな〜!

 

 

謎が解けたせいでちょっとポジティブかつハイテンションだけど、この考え方で前向きに行きたい。自分で道を選ぼう(*`・ω・´)

 

 

P.S.今日のうた 「ロキ」みきとP

ノリノリになれる曲です。よければ。

 

捨てる話

 

4月。新年度の始まる月。

新しい環境に対応するため、(もう終わってるかもしれないけど)人は、不要なものを捨てなければならなくなる。

もう着ない服は捨て、いらない教材はメルカリに出し、住む場所を変え、人は変化に対応していく。


必要のないものだと断言し、お別れする能力。

これは、全ての人に標準装備されているものではない。生きていく過程で、周囲(主に家族)から学び、体得するものだ。

だから、その能力を得られなかった人も、当然存在する。

 


例として、私を挙げてみる。

うちの両親は、ものを捨てる行為を人に任せる人と、ものを捨てられない人で、つまり良くいえば物持ちがとてもいい。

悪くいえば、うちはゴミ屋敷である。

当然、そんな二人のもとに生まれた私は、家にゴミがあるのは普通だと認識する。幼い頃は、掃除はしたことはあっても、ごみ捨てを手伝ったことがなかった。

 

しかし、小学生になると、気づく。

「うちで遊ぼうよ!」

友だちの無邪気なお誘いに、ワクワクしながら親の許可を取り、初めて他人の家にお邪魔して。

「キレイだね、○○ちゃんのおうち。」

「そう? あ、私の部屋こっちだよ。」

何事もなく流される私の感動。偶然だと思い、その日は気にしなかったけど。

あの子の家も、この子の家も、キレイで。
そうか、うちが汚いのか、と。

 

そしてその頃、テレビではゴミ屋敷という言葉が頻繁に流れていた。

テレビっ子だった私は当然、ゴミ屋敷ってなんだろう、と興味をひかれてチャンネルを回して。

取材に行った若手芸人の、大袈裟にも見えるそのリアクションに、自分の普通が他人の異常である事実を目のあたりにした。

 

 

それから10年経つ今まで、ゴミ屋敷コンプレックスを抱えて生きてきた。

その間、家に人を呼んだのは、引っ越して間もない頃で荷物が少なかった時のただ一度だけだ。

ネット回線を引いた時とか、マンションの消防点検とか、そういう事務的な状況は、見られたくない一心で、別室にこもっていた。私がこんな家に住んでいるなんて知られたくなかった。

 

けれど途中で、自分で綺麗にしないと誰も綺麗にしないと気づいて、掃除しよう、何したらいいの?と聞くようになった。

 

でも、ダメだった。

私には捨てる能力は無かった。

 

学校では綺麗にできても、家ではできない。

なぜなら、置いているもの全てが、自分が必要だと思うものだったから。

友達から初めてもらったプレゼントをラッピングしていたかわいい包装紙。素敵な色のおはじき。自分で作ったアイロンビーズ。図工で作った粘土の像。

みんな、私のお気に入りだった。

与えてもらった学習机は、すぐに授業プリントでいっぱいになった。

分からなくなったらこれを見ればいい。これは頑張って書いたから置いておきたい。もう使わないけど、使うかもしれないし。

 

 

普通の人は使わないものは捨てる。そのことに気づいたのは、恋愛系の本を散々読み漁った頃。

人を好きな気持ちを知った私は、誰もが持つ恋のお悩みを、本に相談した。そして数多の人々の失敗や経験から、多くを学びとった。

そのうちのひとつ。

お別れの時、ちゃんと泣かないと次に進めないから、気持ちを整理するのを忘れないで。

確か、そんな内容だったと思う。

読んでしばらくして、たまたま机に謎のメモ用紙の束を捨てた時、唐突に思い出して。

今、私は、これを捨てることに関して、気持ちの整理がつけられたのか、と思った。 

逆に、今までは気持ちの整理をつけられなかったから、ものを捨てられなかったのか、とも。

 

振り返ってみれば、その時歴史が動いた、と言うべきだろう。

あの気づきがなければ、私は捨てる能力は得られていなかった。

 

 

親からものの捨て方を学べなかった私の例を見て、お分かりいただけただろうか。

ものを捨てる能力、つまり、ものとのお別れの気持ちをすぐに整理する能力を、得られない人間もいる。

けれど、自分で身につけられるし、高められる。

 

これは多分、ほかのどんな能力にも適用できる話だろう。

自分のコンプレックスは、もしかしたら日常の小さな気づきで解決できるかもしれない。

新しい生活は、気づきでいっぱいのはずだ。

 

この新年度にたくさんのものを捨てられた人なら、多分気づける。

捨てられなかった人には、この文章が役に立ったらいいな。

 

 

新生活を始めた人が、いろんなことに気づいて元気になれますように。

もちろん私も、生きられますように。

 

 

 

P.S.今日のうた  SuchmosSTAY TUNE

 

 

入力と出力の話

 

4月に入って数日経つ。

私の生活はあまり変わらないけれど、桜が咲き、そして散っていく最近は、季節の変わり目についていけず、すこし風邪気味だったりする。

けれどそれ以外は多分、順調だ。

 

 

私には、自分自身を見つめるもう一人の自分が常に存在する。

ゲームや物語に没頭する時以外は、頭の中でいろんなことを考えてしまう。

この、もう一人の自分の有無を、今までは制御出来ないでいた。

というか、いるのが普通みたいな感じだった。

 

けれど最近、小さなきっかけに問題解決の糸口を見つけた。

らくがきである。

 

もともと、絵を描く事が好きで、版権キャラを描いてはもっと上手くなりたいな〜と考えていた。

けれど、勉強や部活を前に、絵を描くことは切り捨てざるを得なかったので、高校に入ってからは、描く頻度が非常に下がった。

そして高3になるとカリキュラムから美術の授業が消え、絵を描くこと自体が私の生活から消えていった。

 

ところが最近、したい時にしか勉強できないので、机に向かうきっかけ作りに、らくがきをしてみたところ、これがめちゃくちゃ良い。

自分そういえば、絵を描くの好きだったな、と思い出した。

 

我ながら快挙。

 

しかし集中力の低下で、あまり描きまくることは出来なかった。

でも、描いたあとの気分が、半端なく良かった。

 

 

ということは。

 

私の脳は、入力と出力のバランスを上手く取らないと、きちんと機能しなくなるのではないか。

 

 

勉強はある意味で入力で、つまり溜め込む作業だ。自分に足りない知識を補い、試験に通用する自分の武器を作り出す。

この意味で、テストは出力と言えるが、私の受験生活においてはテストよりも、体育の授業の方が出力の大半を占めたように思う。

要は発散だ。動けばストレス発散になるというように。私には体を動かすことの方が合っていたのだろう。

けれど、体育の授業は週3だったし、十分にそこで発散出来ていたかと言うと、それは否と言わざるを得ない。

 

だから、色々溜め込んだのだろうし、全てがうまく進まなくなった。

 

そして今回、運動以外の発散方法として、お絵描き、という頭の中のイメージの単純な出力がめちゃくちゃ有用である、ということが分かった。

実践している現在、結構上手くいっている。

 

 

出力、という意味ではこのブログも私の脳内の出力だし、実際に発散になっていると思う。

ただ、らくがきの方が、何も考えずに没入できる上、効率がいいのだ。

 

 

 

ほんと、めちゃくちゃ大発見したな自分……。

 

 

これを読んで上手くいく人がいたらいいな、と思いながら、未来の自分が入出力バランスを保っていることを願う。

 

 

 

P.S.今日の歌   UNISON SQUARE GARDENシュガーソングとビターステップ

血界戦線というアニメ主題歌で、散々いろんな所で流れていた曲。血界戦線はいいぞ。よかったら見てみてくださいな。

 

 

受験の話

 

 

どうもこんにちは。夜ならこんばんは。朝ならおはよう。

久方ぶりに書く内容が重くて申し訳ないんですけど。

 

受験、全部落ちました。全部。

 

いやー、泣いたよね。めちゃくちゃ泣いた。

受かるか分からない恐怖からの解放による安堵と、自分の結果への悔しさと。

あとは、いろいろ分析しきれないほど溜め込んだ何かが爆発した。

 

ことは後期試験の発表日に遡る。

その日は学校に報告するのと、借りていた赤本の返却を兼ねて、発表時間よりも前に家を出た。

移動中に合格発表のページを見たけど、私の数字はなかった。

友達と合流して、学校に行って、しばらくの間は「全部落ちました笑笑」と言えていた。

でも途中で担任に会って、限界を超えた。

友達を置いてトイレで散々ないてから、赤本部屋に行ったあと、担任に回収され、個室でまた泣いた。

1時間くらい泣いていたけど、ずっと担任に愚痴とか相談を聞いてもらった。優しかった。ちなみに泣きすぎて頭は痺れた。(参照泣いた話 - 今日は何を歌う)

そのあと、恩師に挨拶に行った。今年で退職なさるので、会えなくなる前に話さないといけないと思った。

恩師の前でもまた泣いた。

でも、なんとなく泣ききって、それからは沢山これからのことを話した。

友達が私を見つけてくれて、先生と一緒に話していたら、泣いていたのが嘘みたいに笑えた。友達のお陰だと思う。人と話すって大事だ。

そこからは、普通にその友達とご飯に行ってちょっと買い物して、そのまま解散した。

友達は大学が決まったからか、余裕があるようで、私を気遣いながら動いてくれたように思う。

とても優しかった。その日の話をこうして書けるまでに回復したのは、間違いなく彼女のお陰だ。

家に帰ってからは、涙は出なかった。母には軽く話した。妹は私のLINEのステータスメッセージで知ったらしい。

 

浪人だ。

1年、また勉強する。

1番恐れていたことだけど、1番可能性の高い結果だから、そこまで気落ちはしてない、と思う。

 

あれから今まで、自分が目指す学校をもう一度考えた。

1年、それだけに費やす。その価値のあるものを選びたい。

自分が何を学びたいのか。

十分に時間をくれた周囲や、また勉強する環境を与えてくれる両親には、本当に恵まれている。

だから、真剣に考えなくては、と思った。

 

 

そうしてめちゃくちゃ考えて、まとまったから今この文章を書いている。

 

 

心理学を、学びたい。

 

この一週間で、そういう結論になった。

 

あいにく東京大学で心理学を学ぶには、文転しなければならない。

けれど一年でそこに行ける自信もないし、目指したいとも思えなくて。

だから、京大かな、と思っている。

阪大もいいけど。なんとなく、悔しいから。

 

とりあえず。だけど決めた。

 

塾も決めた。京大コース。

変わるなら半年後。けど、その時自分がどうなりたいかで決めればいいと思う。

 

好きなことを学べることへの感謝をもって、この1年頑張ることを誓います。

 

なんつって。