明日の交流会に行きたくない話
明日の交流会に行きたくない。
交流会というのは他の2〜3の大学サークルと交流することを目的にした会のこと。そのままである。
行ったことはないから他大の友達がいる訳でもない。
行きたくない。
そもそも行きたくない原因は幾つかある。
まず朝が早い。支度が面倒だしそもそも眠い。肌が荒れ気味だしもうすぐ生理も来る。ぐっすり眠りたい。
あと、人と交流したい訳じゃない。そもそもサークル自体辞めたいとか思っているし、サークルのひとつ上の代の人たちも苦手だ。1対1ならともかく大勢が集まる場で話すのがしんどい。
3つ目は、音楽系サークルなので、音をめちゃくちゃ聞かなくちゃいけない。上手いわけでもないし、そもそも爆音なのがしんどい。
で、行った方がいいかなと思う理由も無くはない。
まず周りが割と行く。“普通”になりたいという気持ちから来るものだと思う。周りに馴染まないとダメな気がするし、それなら行くべき。
2つ目は、なんか知らん人に会えるならその分の出会いはある。でも正直知らん人と話すのがめちゃくちゃ嫌。
最後は、明日別にその他に予定は無いから。いや予定ないならゆっくりしてもいいじゃんと思う。
……行かなくてよくね?
なんかジョジョ・ラビット見に行った方が生産的な気がしてきた。
蕁麻疹出てるし生理来てる気がするしこれはもはや行かなくていい??
ていうか皮膚科行くべき?
部屋の掃除とか出来てないしやるべきなのでは?
うーーーんでも、サークル自体は夏まで辞めないことは確定しちゃってる。なら行くべきな気もする。
でも辞めたい気持ちはずっとある。
なんてったって人間が合わない。合う人もいるけど。
あと普通にやるのは楽しいけど、頑張れるところが諸事情でなくなっちゃったのもしんどい点。
月金の夜が丸潰れなのやっぱりきつい。
辞めるべきだよなあ……。
バイトする時間もサークルのせいでなくて、今は家庭教師しかしてない。
パン屋とか飲食のホール?みたいなの経験したい気もする。始めるなら今だと思う。でもやる体力は多分ない。勉強できなくなると思うし。
もうこれ交流会行かなくていいな。
よし閉廷ーーーッ!
行きません。
代わりに映画観るとか服買うとか部屋掃除するとか、己のためになることしよ!!!!!!
朝は早く起きるもんね!!!
おやすみなさァい!!!!!!!!
オタク会の話
無限に楽しい時を過ごしたので、きちんと書き残したいと思う。楽しいことほど忘れてしまうから、その分あとから思い出したい。
部活の先輩たちと遊んだ。
一言でいうとそれだけ。
でも、とても濃密で、楽しくて仕方なくて、嬉しくて、短くて、永遠で、最高だった。
メンバー全員がオタクで構成されている、女オタクの会。BLもNLも楽しむ腐女子かつ夢女子であり、同人誌も買えば商業も読み、pixivにログインしてはアニメイトに入り浸る、そういうオタクたち。
オタクといっても人間的に反りが合うかどうかという問題はあるけれど、それが奇跡的にマッチしているという、最高のメンバーだった。
話の内容とか行動とかは多分普通に友だちと遊ぶのと変わらなくて、思いついた話とかたまに恋愛トークとか、好きなもの(ここではアニメや漫画)や目を引いた何かについて、ただつらつらと話し続けていた。わりとずっと。話し続けてるのに話題が尽きなくてびっくりした。興味範囲というか、好きなものへの姿勢が似ているのか、割とオールマイティに話せた。私は1番年下なのだけど、先輩たちがフランクに話してくれるから気軽に口をはさめたし、適度にほっとかれたりもするので楽だった。
それからサプライズで、この春から就職する先輩にプレゼントを渡した。とても喜んでくれた。めちゃくちゃ嬉しかったな。プレゼントって最高だなって思う。
オタク御用達のサイゼリヤにも行った。まちがいさがしを久々に全クリ出来た。運が良かった。
良いことづくしだったから、なんかもう今週はダメなのではなんて思う。幸せすぎると未来の不幸が怖くなる。臆病なんだよな。
でもそれくらい満喫できた自分の現状が如何に幸福なのか、ちゃんと理解していたい。恵まれた環境にいる己を、絶対的に評価しつづける必要性を感じるから。
最後の結びの文がこれだと、ちょっと怖いかもな。
今度、己の置かれた環境についてじっくり考えたいけど、今夜はもう遅いからそろそろ寝ようか。
皆様良い夢を。
1月が私を置いていった話
年が明けてから、忙しすぎてよくわからないうちにもう2月になってしまった。
待って、置いていかないで、なんて言っても時は過ぎるわけで。
がむしゃらに生きているだけだったのでブログを書く暇もなかったし、ていうかほぼゾンビみたいな感じだったし。目の前のことに集中してたら終わってた。
世の中の“普通”を目指してただけなのになあ。
そういえばずっと、2019の総決算の記事を書こうとしてたのを思い出したのでざっくり書いてみようと思う。ひとつの記事に話題が何個あってもいいはずだし。
2019の頭のほうはずっと受験に苦しんでて、見た目とか中身とかそういう何もかもがぐちゃぐちゃで、家族の支えがなかったら生きぬけなかったなあと思うような状況だった。家族というか、母。
2018の受験に引き続いて私立も受けたけど何ひとつ受からなくて、志望校を下げに下げた結果、前期の合格発表で初めて自分が合格を手にした時、本当に泣きそうになったのを覚えてる。
春からは新しい環境に身を置くのに緊張しすぎて毎日が地獄だった気がする。嬉しくて仕方なかったけど。しんどくてぶっ倒れそうになった。大変だったな。でもお陰で前期の成績はめちゃ良かった。
夏休みくらいから何となく落ち着いて、割と楽に生きられるようになった気がする。でも疲れ果ててたしなんか泣いた気がする。ブログ読み返したらなんか書いてるはずなんだけど。
秋冬は、あんまり記憶ない。部活で会計を頼まれて引き継ぎにてんやわんやしたり、学祭でがんばったり、なんやかんやした。
年末に向かってなんかずっと焦ってた気もする。ゆっくり生きたかったはずなのに。
しいたけ占いを読み始めたのも2019だった気がするな。あとなんだろ、服をちゃんと自分で選んで着るようになった。それからなんとなく、視界が開けたみたいな感覚を得た。成長した気がする。頑張ったんだな……。
そんでまあ今年に入るわけですけど。
まず誕生日があって。成人しましたね。お酒飲めるようになりました。
そんで成人式ですよ。死にもの狂いで耐えた。ありがたい事に振袖を着ることができたし、祖父母にも見せることができた。高校の同窓会もあって、人まみれの週末を過ごした。疲れたことしか思い出せない。
その次の週もなんか、陽のひとと小旅行して、ものすごい楽しかったし色んなことを楽しんだけど、ものすごい体力を消費した。
もうそのあと早速テスト週間で、なんか今に至る。
いや文章として酷い出来かもしれないけど、如実に書こうとするとこうなる。やばい。
2月はゆっくり生きたいなと思う。
レポートと試験さえ終われば春休みだし。
もっとちゃんと色んな事に向き合いたい。
死なない程度に生きよう。
1月には置いていかれたけど、2月はちゃんとついていくからね。
11月というか最近の話
しんどい日々を駆け抜けた、ような気がする。今もしんどいのはしんどいんだけど。
今の話を先にしよう。
生理前なのと温度変化に追いつけてないのと、あとは父が帰ってきているのとで、わりと精神的に弱っている。部活で新しく役職を与えられて仕事が増えたのも大きくて、身体が全然追いついてない。なかなかに苦痛。全部生理前だからってことにして乗り切ろうとしてるけど、やれる気がしないというのも事実でしんどい。悲しい。おまけに季節のせいか寂しくてたまらなくて困る。
文字にすると切羽詰ってるのがよくわかる。
でも文字にするだけの余裕があるとも言える気がする。
11月だってそんな感じだった気がする。うまく思い出せない。
忙しいと記憶が消えるんだって大学に来て始めて知ったんだよな。
スケジュール帳を見た感じ、朝の冷え込みのせいで起きれなくなってきて苦しんでたと思う。あと、眼科に初めて行ってコンタクトを作った。中間テストとレポートがいくつかあって苦しんだし、人と何度かご飯を食べて結構お金を使った。
楽しいこともわりとあって、ピザパーティーとか打ち上げとかに参加した。好きな人の近くにいられてたくさん話せたのが最高だった。
好きな人の話ってしただろうか。してない気がする。
新しく好きな人ができた。相手に恋人はいないけれど、私じゃ無理な気がして、だから変わりたいと思う、それくらい好きだ。学年も年齢もひとつ上だけど、向こうにその気はないのが言動ですごくわかるから、勝手に喜んでは落ち込むのを繰り返している。恋ってなんなんだ、なんて思いながら必死に生きている。
1年前も必死に生きていただろうか、なんてふと思う。ブログを読み返す余裕もないから比較するのはまた今度にするけど。
必死に生きることの難しさは浪人時代に知った気がする。よく覚えてないってことは多分、頑張っていたのだと思うことにする。
成人式を間近に控えた今、幾度となく「よく生きてきたな」と思う。親や周りの人のお陰でしかないから感謝するしかないのだけど、それでも誕生日当日と、成人式の当日は、自分を慈しみたいなぁなんて思う。
自分を大切に生きることが今後どれだけできるだろう。頑張りたいなぁ。
そのためにも、今夜はゆっくり寝るとします。
音楽に包まれた話
書き溜めてそのままになった下書きを放置して、今この衝動をここに残したい。
みなさんは「おげんさんといっしょ」という番組をご存知だろうか。
NHKの特番で、星野源ことおげんさんを主役に、高畑充希や藤井隆、宮野真守をはじめ多くのゲストが家族という設定のもと、ゆるく音楽を語ってくれる生放送番組である。
今晩それの第3弾だった。
音楽は好きだ。自然と体が揺れるし、歌いだして踊りそうになる。聴くだけでなく、奏でることも好きだ。音にまつわる様々な体験がとても好きだ。
そんな私の中でこの「おげんさんといっしょ」はハンパないレベルの夜を提供してくれる、神番組である。
いや本当に音楽に包まれてしまった。
NHKの大道具さんや小道具さんのお陰だと思うが、世界観がまずもって良い。訳分からん存在が共存できていて、しかも崩れない。というか崩れても面白い。
そんな良い世界観のなかで動く人々もとても良い。
星野源のことはそれなりに好きだけど、オタクではないのでよく知らない。それでも強烈に良さを感じる。
今回はゲストに松重豊さんも、出てらしたけど訳分からん設定なのにめちゃくちゃ乗りこなしている。良さしかない。
高畑充希のことは全然知らないけどコメントを聞いていて共感が多いし、誰よりも濃いはずのキャラ設定がうまくマッチしていて良い。
宮野真守はもともと好きなのだけど顔出しが嬉しい。良い。
そんな人達が奏でる音楽とトークなので最高でしかない。
実際バンド演奏している人達は主に星野源の楽曲の演奏に携わる人が多いのだけど、当たり前のように音がいい。
私はベースが好きなので、ハマ・オカモトの音が最高に気持ちいい。良い。
良いしか言ってないな。
でも本当によかった。
私の知らない音楽を知ることが出来た。
何よりなぜか懐かしさとともに、ゆりかごで揺られてるようなグルーブ感に安心を感じた。
一緒にテレビの前で歌ったし、踊った。
なんとなく何もかも許された気がした。
最高の夜だった。
明日もやってくれないかなと思いながら、今夜は寝ようと思う。大学あるし。
また下書きをちゃんと完成させます。
読んでくれた方、ありがとうございました。
7月の話
最低でも月1で投稿しようと決意していたはずなのに、7月はあっという間に過ぎてしまって、今日で終わろうとしています。早い。
大学の話をしようとか、ゲームの話をしようとか、色々と考えていたのだけれど、横で母と妹が話しているせいで何も書けなくなっているから、脳直で7月の生活から感じたことを綴ろうと思います。
まず、「です・ます口調」と「だ・である口調」について。
大学の期末試験期間に入ったんですけど、試験の代わりにレポートを提出する講義があるんです。実際そのレポートに追われる身なのですが、その時の文調が「だ・である」なんですよ。「です・ます」を使ってると注意されちゃうんです。
そのせいなのか、このブログ内でも気分に文調が左右されることが多くて、読み返すとムズムズします。ただ、不思議なことに気分に合った文調の話しか引き当てなかったりするので、そんな時は自己同一性の面白さを感じます。人間って不思議です。
次は、、、夏について。
いやもう最近暑過ぎやしませんかね。梅雨が最近まで長引いていたのに、開けた途端猛暑。令和ちゃんしっかりして!!!
夏という概念は好きなんです。花火だとか祭りだとか、海とかキャンプとか。でも実際に経験するとなると話は別です。家から最寄まで歩く道すがらでメイクは崩れるわ、日に焼けるわ、という辛さ。去年と比べればとても健康的な生活をしていると思うんですけど、それでも夏バテしそうなのが今から怖いです。熱中症でお亡くなりになる方の数も多くて、早く秋になってほしいなと思います。
それはそれとして、花火には行くんですけどね。
時間的に最後になりますが、重い話を。
京都アニメーションさんの事件について。
恐ろしい事件が起こったことに初めは気づけなくて、「火事か、大変だな。でも京都だし(消防が来て)すぐ鎮火するでしょ。」なんて思っていました。だからツイッターに載せられていた火事の動画を見てもあまり何も感じはしなかったんです。授業の合間に知ったのもあって、正確に把握することのないまま夜を迎えました。そこでようやく事の重大さを知って、日中の己の行動に吐き気がしました。
幸い、私は今まで火事の恐ろしさを体験したことはありません。けれど様々な作品を通して想像したことは幾度となくあります。毎度、眠れなくなるほど恐怖していました。こんなことはあってはならないと思っていたはずなんです。なのに火事を甘く見ていた。
次々に判明していく事件の実情を追いながら、血の気が引いていくのを感じました。生きていてくれと、他人の命を願ったのは東日本大震災ぶりだったような気がします。
ネットから離れるべきだと思いましたが、行動できなかったことを覚えています。
今も、事件は尾を引いたまま、ジャーナリズムの問題に形を変えたりしていますが、ニュースのトピックからは外れていきます。気づけば自分の毎日に追われて、遠い地の話を忘れかけています。
人間とはそういうものだと理解していても、その事実に愕然としたり、そんな自分がいることに安堵したりします。人間の複雑さを見に染みて感じるなかで、京アニ関係者の皆さんの安心を願いながら、募金するためにやりくりしようとしています。
この話に上手いまとめ方など無いような気がしますが、日々模索することで一旦区切ろうと思います。
来月の末には私はこの記事内容をあまり覚えていないかもしれません。
けど、読み返すことで自分の何かに繋がればいいなと思います。
0時過ぎちゃったな。
明日もちゃんと目覚められますように。
おやすみなさ〜い。
失恋した話
前々から書こう書きます書く〜なんて言ってた話をひとつ。失恋の話です。というかこれは恋だったのかしらという話。
以前から「あの子」として度々このブログでもフィクションを織り交ぜながら恋の話をしていましたが。
なんと。
彼氏が出来たそうですフゥーーーッ!
彼女は現役で合格していたので私より一年ほど先に大学生活を送っていたわけですが、その中で出会った子と付き合いだしたそう。
おしゃべりしようと久々にランチに行ったらこの仕打ちですよ。泣かずに話し続けた私を褒めて欲しかったです。実際は心のうちで何かがどんどん崩れていくのを感じながら、必死に親友の幸せを喜ぶ演技をしていました。我ながら健気すぎる。
そもそも、待ち合わせに現れた時点からそんな気はしていたんです。だってあまりにも変化していたから。何かあったなこれはって、さすがに誰でも察するレベルの変化でした。それに逐一ちょうど気づいたフリしては話の種にして、彼女の声を沢山聞いて、それはもう楽しかったのに。なんでかなー。
でも、私にそれ以外の道は無かったとも思うんです。この気持ちを口にしなかった時点で、私は進展を望んだわけではなかったんですもの。ただひっそり、片思いを楽しんでいただけです。言い訳がましいですけどね。
まあそんなこと考えながら話して、後半ほとんど楽しめなくてあんまりだったんですけど、しばらくしてから帰りました。
帰る道すがら電車の中で放心しているようでいて、脳裏ではチラチラと失恋を否定するような文言ばかりが浮かびました。線香花火みたいに弾けては散っていく言葉たち。その中身は全部同じ、そもそも恋ではなかったのではないか、というだけのもの。
そもそも恋ではなかったならば、失恋でもなく、悲しむ必要も無いという。そういう言い訳に言い訳を重ねたような脆い塊が、形を成しては崩れていく。そんな感じでした。
そのあと何日かは本当に何もかもが不鮮明になって、そのことを認めたくなくて二次元に走ろうとしました。無理でした。
一度泣いてみようとした時、一滴も涙が出てこなくて困りました。
失恋を何とか受け入れようとした結果の行動だったので、まさか泣けないとは思わなかったんです。悲しすぎて泣けないのかと思ったけど、そんなに悲しんでないのかなとも考えられて、なんだか自分で自分が分からなくなってしまってた。
彼女が結婚したら泣くのかな、なんて考えたりはしたけど確証はなく。
ただ彼女が死んだら悲しいし泣くだろうと。縁起でもないことばかりが想起されて。
それ以降、彼女とは連絡をとってません。会っても楽しめる気がしないから。
あまりに自分勝手な気もするんですけど、向こうに誘われるのを待てばいいかなって感じです。
そんなこんなで失恋の話、これにておしまい!
としたかったのですが。
ワタクシ、さらに再び失恋をしておりまして。
思い返すと、こんな短期間に2回も失恋する?って笑けてくるんですけど、実際したんですね。
相手はサークルの先輩、男の人なんですけど。
チーム分けで一緒になって、がんばろーって感じで色々教えて貰ってて。技術もあるしやさしいし、憧れも混ざってたと思います。輝いて見えちゃって。
だからサークルのある日は頑張ってオシャレして行ってたんです。
でもね。
ある日。サークル内でカップルの話になって。
同回の子たちと「あの先輩とあの先輩、付き合ってんの?」みたいな情報交換をしたんですよ。
そしたら!
片思いしてた先輩に!
彼女いた!!!!!!!
泣きはしなかったけど1日引き摺りました。
今でもサークル内で会うと傷が疼いて辛いです。これまでなら好きにならなかったようなタイプの顔で、だから恋に気づいけたんですけど、おかげで顔を見る度心が掻き乱される。まだ引き摺ってるなあ。
でも私の生活に1ヶ月くらい彩りを与えてくれたし、そのお陰で前の失恋も乗り越えられたし、良い恋だったのではと思いたい。です。
というわけで改めまして。
以上!私の失恋譚でした!!!!!!
読んでくださってありがとうございました!