割合の話
今日も今日とて家にいる私です。こんにちは。
家にいちゃダメだな〜出たくないな〜などと甘ったれながら、体を動かせません。分かっちゃいるけど動けないのは、怠惰でしょうね。
さて、そんな思考の中で、割合って重要ではないか、という当たり前のことに思い当たりました。
私の場合、これは主に環境の意味。というのも最近家にばかりいるせいで、私の世界が狭まっています。家の問題が解決しないと、外に出られないような錯覚に陥っているほど。
人は目の前にある問題しか解決出来ないとはよく言われる話です。目の前のことに全力をかけるしか、人間にはできない。
あたりまえですけど気づき難いことですね。
で、そんな目の前が狭まれば、ひとつの問題の割合がぐんぐん上がってしまう。視界を覆ってしまうことが有り得るわけで。
もし解決策が見当たらないと、お先真っ暗に思える。
だからこそ、問題の割合を下げなくちゃ、立ち上がれない。
外に出ないことには、問題を多角的に見ることも、その余裕を得ることも、できない。
今、私が抱えている家族の問題は、すぐに解決出来るものではないし、時間が1番の効果をもつのが目に見えています。
けれど正直、家の居心地が悪いのが嫌で、当事者でもない私が躍起になって解決しようとしていました。
これってとても傲慢かもしれない。手出しなんてできない。ただの野次馬が騒ぎ立ててるのと同じ。
そんな風に考えるようになりました。
予備校には予備校での問題があるんですけどね。
とりあえず、いっちょ外に出かけようと思います。