6月の話
約1ヶ月ほど、文章をかけていませんでした。お久しぶりです。
書きたいことは山のようにあったけれど、私の気力がもたず。
7月に入り、やっと安定してきたので、6月の記憶と、自分の気づきを綴ろうと思います。
予備校はあまり快適な空間と言えず、5月に引き続いて、休んでしまう日も多かったです。
朝のラッシュ時の満員電車がキツいな、とやっと気づき、担任に遅刻することを伝えられたことで、中旬からいくらか通いやすくなりました。
体力がとても落ちていたので、往復だけで底をつくこともあり(最寄りから予備校まで距離がある)、行って帰るだけになってしまうこともありました。
近所の本屋でマンガを買ったり友達と会ったりすることで、どうにかこうにか気力を回復させつつ、今月を頑張れてよかった。
今週は火曜から金曜まで、遅刻や教室に入れない日はあったけれど、きちんと毎日通えて本当に嬉しかったです。
先週は父が帰っていて、色々と衝突したせいで疲弊していましたが。
父を前にまたひとつ、気づきがありました。
それは、私の自己嫌悪の原因は、父であるということ。
正確には「父が私に植え付けた、1位をとれ、という呪い」とでも言いましょうか。
父は、様々な困難を乗り越えてきて、そのせいで思う存分に好きなことをやりきれなかったそうです。母から聞きました。
その悔しさでしょうか、私を育てる時に「なんでも1位を目指せ、100点なら絶対に1位なんだ」と常々言っていました。
でも私は褒めてほしかった。
テストでクラス3位でも、成績表が良くても、ゲームで強くなっても、難しい漢字が読めても、1度も、褒められた記憶はありません。母が褒めてくれたから、余計に父に褒められないのが際立ったのでしょうか。
もっとできる。お前ならやれる。
そんな無責任な応援だけが、私にかけられた言葉でした。
親の評価は、幼い子供には絶対で、だからこそ褒められないのが悲しくて、頑張りに頑張った私は、それでも褒められずに、ここに生きています。
こじらせた承認欲求のおかげで、逆に人に見られることが怖くて、気持ち悪がられないかだけを気にする、よく分からない奴になりましたけど。
私の生活の金銭面全てを支えてくれる父には感謝していますし、別に父を恨む気はありません。
ただ、私がそういう風になったのは、これが原因なのだと、そう気づいて少し、安堵したんです。
私は、自己嫌悪する己にすら嫌悪していて、自分を大切にすることが出来ずにいました。
アトピー(最近判明した)とアレルギーのせいで化粧も出来ず、好きなものも食べられない人生に、この数ヶ月絶望したりもしていました。
それでも、支えてくれる母や友人のために、死んではいけないし恩を返したくて、沢山の文章に支えられながら、己と向き合うことを知り、実践してきたんです。
それで、やっと、大嫌いな自分が、自分の作ったものじゃなかったのを知れた。
自分の性格に、自己嫌悪してしまう己に、折り合いをつけられた。
責任転嫁と言われても、それでもいい。
私が私を嫌いにならなくていいと、そう思えるなら。
自分を褒めることを、無理なくできるようになるなら。
気づけてよかった。別に私がこんな風に生きずにはいられなかったのは、私に責任があるわけじゃないんだ。
私にあったのは、そんな、安堵でした。
これから、暑いせいで、自分の肌とアレルギー反応を呪う日々が続きますが、自分を愛せるようになっていきたいと思います。
また書きます。読んでくれた方、ありがとうございました。
P.S.この文章書きながら泣きました。文字にすると色々と感慨深いですね。
P.S.2 今日の歌 宇多田ヒカル「二時間だけのバカンス」