割合の話
今日も今日とて家にいる私です。こんにちは。
家にいちゃダメだな〜出たくないな〜などと甘ったれながら、体を動かせません。分かっちゃいるけど動けないのは、怠惰でしょうね。
さて、そんな思考の中で、割合って重要ではないか、という当たり前のことに思い当たりました。
私の場合、これは主に環境の意味。というのも最近家にばかりいるせいで、私の世界が狭まっています。家の問題が解決しないと、外に出られないような錯覚に陥っているほど。
人は目の前にある問題しか解決出来ないとはよく言われる話です。目の前のことに全力をかけるしか、人間にはできない。
あたりまえですけど気づき難いことですね。
で、そんな目の前が狭まれば、ひとつの問題の割合がぐんぐん上がってしまう。視界を覆ってしまうことが有り得るわけで。
もし解決策が見当たらないと、お先真っ暗に思える。
だからこそ、問題の割合を下げなくちゃ、立ち上がれない。
外に出ないことには、問題を多角的に見ることも、その余裕を得ることも、できない。
今、私が抱えている家族の問題は、すぐに解決出来るものではないし、時間が1番の効果をもつのが目に見えています。
けれど正直、家の居心地が悪いのが嫌で、当事者でもない私が躍起になって解決しようとしていました。
これってとても傲慢かもしれない。手出しなんてできない。ただの野次馬が騒ぎ立ててるのと同じ。
そんな風に考えるようになりました。
予備校には予備校での問題があるんですけどね。
とりあえず、いっちょ外に出かけようと思います。
6月の話
約1ヶ月ほど、文章をかけていませんでした。お久しぶりです。
書きたいことは山のようにあったけれど、私の気力がもたず。
7月に入り、やっと安定してきたので、6月の記憶と、自分の気づきを綴ろうと思います。
予備校はあまり快適な空間と言えず、5月に引き続いて、休んでしまう日も多かったです。
朝のラッシュ時の満員電車がキツいな、とやっと気づき、担任に遅刻することを伝えられたことで、中旬からいくらか通いやすくなりました。
体力がとても落ちていたので、往復だけで底をつくこともあり(最寄りから予備校まで距離がある)、行って帰るだけになってしまうこともありました。
近所の本屋でマンガを買ったり友達と会ったりすることで、どうにかこうにか気力を回復させつつ、今月を頑張れてよかった。
今週は火曜から金曜まで、遅刻や教室に入れない日はあったけれど、きちんと毎日通えて本当に嬉しかったです。
先週は父が帰っていて、色々と衝突したせいで疲弊していましたが。
父を前にまたひとつ、気づきがありました。
それは、私の自己嫌悪の原因は、父であるということ。
正確には「父が私に植え付けた、1位をとれ、という呪い」とでも言いましょうか。
父は、様々な困難を乗り越えてきて、そのせいで思う存分に好きなことをやりきれなかったそうです。母から聞きました。
その悔しさでしょうか、私を育てる時に「なんでも1位を目指せ、100点なら絶対に1位なんだ」と常々言っていました。
でも私は褒めてほしかった。
テストでクラス3位でも、成績表が良くても、ゲームで強くなっても、難しい漢字が読めても、1度も、褒められた記憶はありません。母が褒めてくれたから、余計に父に褒められないのが際立ったのでしょうか。
もっとできる。お前ならやれる。
そんな無責任な応援だけが、私にかけられた言葉でした。
親の評価は、幼い子供には絶対で、だからこそ褒められないのが悲しくて、頑張りに頑張った私は、それでも褒められずに、ここに生きています。
こじらせた承認欲求のおかげで、逆に人に見られることが怖くて、気持ち悪がられないかだけを気にする、よく分からない奴になりましたけど。
私の生活の金銭面全てを支えてくれる父には感謝していますし、別に父を恨む気はありません。
ただ、私がそういう風になったのは、これが原因なのだと、そう気づいて少し、安堵したんです。
私は、自己嫌悪する己にすら嫌悪していて、自分を大切にすることが出来ずにいました。
アトピー(最近判明した)とアレルギーのせいで化粧も出来ず、好きなものも食べられない人生に、この数ヶ月絶望したりもしていました。
それでも、支えてくれる母や友人のために、死んではいけないし恩を返したくて、沢山の文章に支えられながら、己と向き合うことを知り、実践してきたんです。
それで、やっと、大嫌いな自分が、自分の作ったものじゃなかったのを知れた。
自分の性格に、自己嫌悪してしまう己に、折り合いをつけられた。
責任転嫁と言われても、それでもいい。
私が私を嫌いにならなくていいと、そう思えるなら。
自分を褒めることを、無理なくできるようになるなら。
気づけてよかった。別に私がこんな風に生きずにはいられなかったのは、私に責任があるわけじゃないんだ。
私にあったのは、そんな、安堵でした。
これから、暑いせいで、自分の肌とアレルギー反応を呪う日々が続きますが、自分を愛せるようになっていきたいと思います。
また書きます。読んでくれた方、ありがとうございました。
P.S.この文章書きながら泣きました。文字にすると色々と感慨深いですね。
P.S.2 今日の歌 宇多田ヒカル「二時間だけのバカンス」
曖昧な話
最近、曖昧って良いことなのでは?と思い始めました。
日本は明治維新以降、西洋文化に憧れて、欧米化がめちゃくちゃ進行した国です。
そこには謎の「英語かっこいい」思想のような、憧れゆえの同一化があったのでしょう。
その頃、日本に「断定って素晴らしい」みたいな風潮がやってきた。
いわゆるイエスノー文化ってやつです。
で、それが現在蔓延してる気がしています。
何も「断定は悪い文化である」と決めつけ(それこそ断定し)たい訳ではありません。
ただ、そこに息苦しさを感じる。
例えば、「性別」という概念。
メディアに取り上げられることで、LGBTが有名になった現在、結局のところ異性愛者なのか同性愛者なのか両性愛者なのか、と結論を迫る場面をテレビ等で目にします。
こういう時に、私にも当てはまるなー、私ってレズなのかバイなのか分かんないなーとモヤモヤしがちなんです。
でも気づきました。
各種メディアでもLGBTQのQまでは取り上げられていない気がしますが、この最後が重要。
なぜならこのQ、クエスチョン、すなわち「よくわかんない」なのです。
めちゃくちゃ曖昧ですが、とても画期的。
苦しまなくていい。そういうの気にしなくていいよ、と言われているかのような曖昧な分類。
これに救われる人って少なくないはずなのに、LGBTで止まっちゃうのは、人が安心を求めてるからではないでしょうか。
断定すると人は安心を覚えます。
なぜなら「正体を知る」ことができるからです。
例えば「ぶつかり男」問題。
Twitterで話題になり、警察も動き出したそうですが、名称がつくことによって一気に事態が好転しました。
この様に、人は「名付けること」で正確に物事を把握し考えられるようになります。
つまりは具体化です。
それゆえ、よく分からないものは、輪郭を取れず、恐怖する。(ある意味、オバケが怖いのもこれに類する気がします。)
だからとりあえず、お前は一体何者なんだ、なんてセリフが出てくるわけです。(例:ロケット団など)
そんなふうに不安を解消できる「断定」ですから、不安を煽る広告に溢れた現代で、流行するのも当たり前かもしれません。そして、曖昧さが失われていくのもまた道理なのかも。
けれど、曖昧であることは悪いことではないはずです。
よく分からないけど好き、とか、嫌いなところもあるけど大嫌いではなくむしろ好ましい、とか、人と人との関係性ではよくある話でしょう。
ファンというほどコンサートには行かないけどテレビに映ってたら見る、とか、文章は好きだけど作者は苦手、とかもあるかもしれません。
好きなのか嫌いなのか、やりたいかやりたくないか、ハッキリしろと言われても出来なくて、どっちでもいいなんてザラです。
むしろ完全に判別できる人の方がやばい。
加えて、諸行無常を忘れてもいけません。つまり、人の心はうつろうし、数年で考え方が変わることだってある。
人には常に揺らぎがあって、けれどそれは人の可能性でもある。
だから、曖昧って良いことだと思います。
ただもちろん、はっきりすべきこともあります。
だから、そこをきちんと判断していけるようになれたら、ハッピーになれると思うので、これからまた考えていきたいです。
GWの話
お久しぶりです、こんにちは。
もう5月も半ばというのにGWの話をします。
なぜって色々あったのでね。
日記に近いですし。
今年の私にGWという長期休暇は存在しませんでした。
ご存知の通り、浪人生でございますから、日夜勉強しなくちゃいけませんのでね。
でも、世間様はそうではない訳でして、他県に進学した友達なぞはこのタイミングで帰省なさる。
すると、その子を中心に集まるわけですね。
で、何をとち狂ったか、私はそういう場に3度も参加しました。5日間のあいだに。
あの時の私は多分、アドレナリンで生きていけてたと、今になって思います。
もちろん、その場はとても楽しかったです。久々に会う面々ばかりでしたから、積もる話なんてのはありまくりで。馬鹿みたいに騒ぎましたけど、その中で浪人生は私だけでしたね。みんなああいう日々を送ってるんだ、私もそっち側に行きたいな〜と、ぼんやり思ってました。
そんなこんなで楽しく過ごしていたんですが。
GW明けて7日月曜、異変は起こりました。
起きられないんです、全く。
前日、生理初日のくせに遊んだりして苦しかったので、休まないと持たないか、そーか仕方ないわ、などと思って月曜は過ぎたんですが。
火曜も全く動けない。
いやちょっと待ってくれよ、と思いつつ動く気力もないもんですから何も出来ず。
唯一、お手紙の返事をもらったのを支えに、頑張らなきゃと発起したのが水曜の夜。
そして、木曜になってやっと、プリントの提出だけでもしようと、お昼頃から予備校に行きまして、担任にわけを話しつつ、ちょっと無理したっぽくて〜と言いながら用が終わったら即帰宅しました。
予備校という場が無理すぎた。
ここまで来ると予想通りでしょう、金曜は全く動けませんでした。
つまり、1週間を棒に振りました。
いや〜この事実がメンタルに刺さります。何とかしていけたらよかったですけど、行くという選択肢が無い1週間でしたから、どうしようもなかった、はずです。
でも今になると、私が自分のことなんもわかってないことを痛感します。
まだ高2の頃と同じ体力があると思ってる。
高3の1年間、体育以外で運動することもなく、机に向かわなくちゃいけなかった人間が、翌年すぐに元気になるはずないのです。
何ならもともと軟弱なのに。蕁麻疹が出始めたら相当やばいのを、いけるでしょ、と強引に押し進めたし。
突如病に倒れる中年みたいですけど、自分の体は自分が1番わからないのを理解しました。
あと、自分が「他人の多いところでは状態異常をくらう」のも。
予備校がしんどいんですよ。それで理由を考えてたら、単純に人混みがしんどいのが分かって。
しかも予備校って勉強するところだし、私が友達作り下手なのも手伝って、同じクラスに喋る人がいない。めっちゃ孤独なんですね。
そんでもって教室内の人と人の間隔が狭いもんですから、たまったもんじゃなかったわけです。こんなになるまで気づけなかったんですけどね。
これを担任に話して、席替えで最後列の一人席に飛ばしてもらえたので、ギリギリ生きています。
まあ今週もあんまり行けてないんですけど。
自分の気力の八割くらいを使って日々を過ごせるようになりたいです。余裕を持ちたいなー。
P.S.今日の歌は、アニメのOPです。とりあえずめちゃくちゃ可愛いから見てほしい。漫画もWeb上で読めるので、良ければ検索してください。
手紙の話
ご無沙汰しております。みなさんお元気ですか。
私はといえば、また同じ過ちを繰り返し、2日ほど予備校を休みました。
やっちまったな!(クールポコ)(古い)
さて、予備校を休んで、ひたすら体力の回復に務めたあと、気力の回復のために色々やってみたんですが、その中で一番効果が高かったのが、「手紙を書く」だったので、そのあらましをここに記録します。
まず、手紙を書くに至った経緯を。
私の過去の記事をいくつか読んでいただければ、私の考えこみがちな性格は分かってもらえるかも知れません。
とにかく悩む時は悩み抜いてしまうせいで、かなりの確率で袋小路に追い詰められ、泣く羽目になります。
しかしここで「これからずっとそんなんではやばい」と一念発起、人に頼ること、甘えることに慣れようと、人に相談するようにしようと考えました。
ところが悲しいかな、浪人生活に友達がほとんどおりませんで、頼れる存在が少なく。
どうすれば!!?と叫んで思いついたのが手紙でした。
余談ですが。
ネットネイティブ、と呼ばれる世代には近いのですが、私はLINEがどうも苦手でして。
というのも、送ったメッセージに、ものの数秒で返事を送ってくるような友達が多くて、最近ついていけなくなったんです。
LINEの既読システムはとても便利な反面、メッセージを推敲しがちな私には、2文目を書いている最中についてしまう既読が、催促にしか見えず、なかなか苦しい。
軽いやりとりやおしゃべりを文字の応酬に切り替えられることは、とても便利なんですが、それに特化しているがため、人に相談するには向かない。
そんなわけで、SNSにも長所短所が存在するという意味で、手紙じゃなくてもいいじゃない、という意見は割愛させていただきます。
さて本題です。
手紙を、信頼できる友達に許可をもらって、書いたわけなんですが。
気力の回復度が半端ない。
ほんとね、書いた後とても気持ちが楽だったんです。
書いた際に留意したのは、
- 相手に話しているつもりで書く
- 悩んでいる物事そのものよりは、むしろ話したいことを書く
ということでした。
冒頭で、「人に相談する」と書いた手前、相談してないことをツッコまれると痛いのですが、多分、私にとってこの内容が、広義での「相談」に含まれるのかと。
こじつけだと言われるとそれまでですけど。
人に相談するというのを、私は重く捉えがちで。
なんかこう真剣に話をするイメージが強いんです。
でも、それだけが相談ではないかもしれない。
内容の解決だけが目的ではないのかもしれない。
そう考えるとなんだか、相談しやすくなる気がして。
そんなふうに私の中では相談のつもりで、伝えたいことを話すように手紙を書いてみたところ。
とっても元気になりまして。
いや、我ながら嘘やん、と思う程とんでもなく精神的回復に成功して、ビックリしました。
だからみなさん手紙を書きましょう!と言いたいかというと、そうではなく。
なんでこんなふうに回復出来たのか、私なりに考えてみたんで、それを聞いて(読んで?)いただきたい。
※以降、私個人の感想です。
手紙を書く際、私がしたのは
【悩んでいることを一旦おいておく】
に尽きます。
すなわち、悩みを根本的に解決するのではなく、頭の外に放り出したわけです。
大人のみなさん、特に人生経験豊富な方にすれば「解決出来ない問題は考えない」というのは定石だろうし、私自身、相談する大人のほとんどに「若いから考えちゃうよね、でも考えても仕方ないことだから」と言われまくりました。
でも、誰一人として「考えないようにする」具体的な策は教えてくれなかった。
もちろん、その方法が人によるものだから、どうすればいいか大まかにしか言えないのは分かります。音楽聴くとか本読むとか〜と例をあげてくれた人もいました。
でも、それって行動に移す気力が存在しないと不可能なんです。
気力を回復するために必要な気力、それすらない時にどうすればいいのか。
私の場合、体力も気力も尽きかけていても、頭だけはクリアということがよくあって、悩みだけがどんどん深まりがちです。
どうにかして別のことを考えていても、どうしても悩みに向かってしまう。
どうすれば、悩みを頭から消しされるのか。
その問題にひとつの解決策をもたらしてくれたのが手紙です。
相手のことを考える。
手紙を通して、この内容おもしろがってくれるかな、あの話したことあったかな、と考える。
すると、自分(の中の悩み)から視点が逸れる。
もちろん、こんな話読んで面白いと思ってくれるはずない、とか考え始めてしまうかも知れませんが。
相手を楽しませることを第一に書いていると、自分まで楽しくなってくるんです。ほんとに。
自分にとって楽しくない話を、相手が楽しむはずないですから。
もしそんな相手なら、手紙を書く相手を変えるべき。
ちなみにここで手紙の特徴である「書いてから読まれるまでに一定の時間がかかる」ことが効いてきます。
SNSでは、基本的に1日のうちに返事が返ってくることが分かっているので、どうしても「相手が楽しんでくれるかどうか」を熟考しなくなりがちです。
その点、書くことそのものにそれなりの時間を要する手紙では、相手のことを考える時間がとても多くなる。
そんなわけで、手紙って案外いい気がします。
もちろん、手紙である必要性はなく、自分ではない誰かのことを考えることが要点なので、無理に手紙を書く相手を探さないといけない訳ではありません。
けれど、入出力の話での考察を踏まえれば、手紙を書く行為は出力にも繋がるので、より良いのではないかな、と思っています。
もし誰か疲れきった方がこの方法で少しでも元気になれたらいいな、と思っています。
P.S.今日のうた「零-zero-」福山雅治
今年の映画コナン「ゼロの執行人」の主題歌。まだ見に行けてないんですけど、息抜きがてらGWに友達と行こうと思ってます。曲だけでも素敵なので、よろしければ。
妖怪ポジティブおじさんの話
お久しぶりです、こんにちは。
今週から予備校の授業が始まりました。今日で3日経ちましたが、なかなかしんどいです。
今日なんて、眼鏡が見つからなくて遅刻して、もう休みたいな〜と思いながら行ったりしてました。いや〜しんどい。通学片道1時間で、そのうち20分は徒歩ってのはきつい。
でもね、行ったら行ったで面白いことも多いって気づきました。
表題の、妖怪ポジティブおじさんは、今日が初回授業の講師のおじさんで、予習のやり方とか勉強のやっていき方とか、オリエンテーションをメインにやってくれたんですけど。
なんかね、おじさんのお陰でめちゃくちゃポジティブになれたというか、斜に構えてたのがなおったんです。
私の行く予備校は浪人生のみの校舎なので、当然クラスメイトは全員浪人生なわけで、講師のみなさんも「浪人したから“負け”とか思わんでいい」とは何度も言ってくれるんだけど、この1ヶ月間、どうしても私の気持ちは切り替わりませんでした。
たくさん泣いた発表日以来、泣く機会はあまりなかったけど、浪人という事実がそれなりにキツくて。
多分、もともと浪人生を下に見がちだったのもあるけど、それ以上に、信頼する大人(親族ではない)に「浪人は1年棒に振ってる、海外にでも行くべきだ」って言われたのが大きかった気がする。
とりま、原因はあやふやだけど、強烈な劣等感に苛まれてたんです。
が。
それが今日吹き飛んだわけです。
ほんとね、世界に色がつくというと言いすぎだけど、視界は確実に鮮やかになった。
おじさんの喋りが私の好みだったのも一因かもしれないけど、一番の原因は、私が目を背け続けてきた事実を、何気なく言い切ったこと。
私を含む生徒全員に話していることは分かっていたけど、思わず「私のことや〜〜〜!」と小声で叫んでしまった。
というのも。
キラキラ輝いてる人は、楽しいことばかり経験してる訳じゃなくて、つらいこともたくさん経験している、と頭でわかっていても心からの納得には至っていなくて。
だからどうしてか、羨みこそすれ、自分はキラキラにはなれないと思っていて。自分を相対的に上げようと、周りを下げまくってた、つまりは人を見下す優越感だけで生きてきた。
おかげで、周りに抜かれるのが本当に苦痛で。
苦しくて妬ましくて悲しくて仕方ないから努力していたし、その努力自体は嘘ではなかった、と思いたいけれど、実際そんな行動理由だから、自信とか満足感とかが結構低かった。
……いや、「低い。」ですね、今もそんなに高くない。
そうしてそれなりにハッピーに生きてきたんですが、去年の秋口から、恐ろしく鬱っぽくなりまして。その原因を探るうちに「自己肯定感の高さと幸せ度は比例する」と思うようになったんですよ。
でも、そこから「どうすれば自己肯定感を上げられるか」がとても難題で、ずっと分からなかったんです。いろんな人に話を聞いたり、そういうテーマの本や記事を読んだり、たくさん試したのに。
それが今日、おじさんに答えを教えてもらいました。
ずばり、自分で決めて自分ですること、です。
それなりの年齢ですが、うちは基本的に両親が過保護なんです。おかげで、自分で決める必要も自分ひとりで何かを成し遂げる必要もなかった。親がやってくれるから。
自分で計画を立てることも、目標を立てることも、それを実行し達成することも、ほとんどして来なかったんです。
たまにやっても経験が少ないから大抵失敗するし、それを理由に人任せにして。
自分で決めたことなら、失敗も成功も必ず身になる。
でもわたしは自分で決めない代わりに、ずっと人のせいにし続けてきた。
それじゃあ駄目だよ、とおじさんが言ったんです。
いや〜〜、目を背けてたことを改めて文章にすると心が痛むんですが、こうして書くと本当にその通りだし当たり前ですね。
それなりの数の失敗を人のせいにしていたけど、「人のせいにしている」事実も嫌で、結果的に自分嫌いを助長していた気がするし、悪い事尽くめでした。
人生辛いことも多いけど、楽しいことも沢山あるから、それを自分が決めた道で、自分の成したことで得られたらいいな〜!
謎が解けたせいでちょっとポジティブかつハイテンションだけど、この考え方で前向きに行きたい。自分で道を選ぼう(*`・ω・´)
P.S.今日のうた 「ロキ」みきとP
ノリノリになれる曲です。よければ。
捨てる話
4月。新年度の始まる月。
新しい環境に対応するため、(もう終わってるかもしれないけど)人は、不要なものを捨てなければならなくなる。
もう着ない服は捨て、いらない教材はメルカリに出し、住む場所を変え、人は変化に対応していく。
必要のないものだと断言し、お別れする能力。
これは、全ての人に標準装備されているものではない。生きていく過程で、周囲(主に家族)から学び、体得するものだ。
だから、その能力を得られなかった人も、当然存在する。
例として、私を挙げてみる。
うちの両親は、ものを捨てる行為を人に任せる人と、ものを捨てられない人で、つまり良くいえば物持ちがとてもいい。
悪くいえば、うちはゴミ屋敷である。
当然、そんな二人のもとに生まれた私は、家にゴミがあるのは普通だと認識する。幼い頃は、掃除はしたことはあっても、ごみ捨てを手伝ったことがなかった。
しかし、小学生になると、気づく。
「うちで遊ぼうよ!」
友だちの無邪気なお誘いに、ワクワクしながら親の許可を取り、初めて他人の家にお邪魔して。
「キレイだね、○○ちゃんのおうち。」
「そう? あ、私の部屋こっちだよ。」
何事もなく流される私の感動。偶然だと思い、その日は気にしなかったけど。
あの子の家も、この子の家も、キレイで。
そうか、うちが汚いのか、と。
そしてその頃、テレビではゴミ屋敷という言葉が頻繁に流れていた。
テレビっ子だった私は当然、ゴミ屋敷ってなんだろう、と興味をひかれてチャンネルを回して。
取材に行った若手芸人の、大袈裟にも見えるそのリアクションに、自分の普通が他人の異常である事実を目のあたりにした。
それから10年経つ今まで、ゴミ屋敷コンプレックスを抱えて生きてきた。
その間、家に人を呼んだのは、引っ越して間もない頃で荷物が少なかった時のただ一度だけだ。
ネット回線を引いた時とか、マンションの消防点検とか、そういう事務的な状況は、見られたくない一心で、別室にこもっていた。私がこんな家に住んでいるなんて知られたくなかった。
けれど途中で、自分で綺麗にしないと誰も綺麗にしないと気づいて、掃除しよう、何したらいいの?と聞くようになった。
でも、ダメだった。
私には捨てる能力は無かった。
学校では綺麗にできても、家ではできない。
なぜなら、置いているもの全てが、自分が必要だと思うものだったから。
友達から初めてもらったプレゼントをラッピングしていたかわいい包装紙。素敵な色のおはじき。自分で作ったアイロンビーズ。図工で作った粘土の像。
みんな、私のお気に入りだった。
与えてもらった学習机は、すぐに授業プリントでいっぱいになった。
分からなくなったらこれを見ればいい。これは頑張って書いたから置いておきたい。もう使わないけど、使うかもしれないし。
普通の人は使わないものは捨てる。そのことに気づいたのは、恋愛系の本を散々読み漁った頃。
人を好きな気持ちを知った私は、誰もが持つ恋のお悩みを、本に相談した。そして数多の人々の失敗や経験から、多くを学びとった。
そのうちのひとつ。
お別れの時、ちゃんと泣かないと次に進めないから、気持ちを整理するのを忘れないで。
確か、そんな内容だったと思う。
読んでしばらくして、たまたま机に謎のメモ用紙の束を捨てた時、唐突に思い出して。
今、私は、これを捨てることに関して、気持ちの整理がつけられたのか、と思った。
逆に、今までは気持ちの整理をつけられなかったから、ものを捨てられなかったのか、とも。
振り返ってみれば、その時歴史が動いた、と言うべきだろう。
あの気づきがなければ、私は捨てる能力は得られていなかった。
親からものの捨て方を学べなかった私の例を見て、お分かりいただけただろうか。
ものを捨てる能力、つまり、ものとのお別れの気持ちをすぐに整理する能力を、得られない人間もいる。
けれど、自分で身につけられるし、高められる。
これは多分、ほかのどんな能力にも適用できる話だろう。
自分のコンプレックスは、もしかしたら日常の小さな気づきで解決できるかもしれない。
新しい生活は、気づきでいっぱいのはずだ。
この新年度にたくさんのものを捨てられた人なら、多分気づける。
捨てられなかった人には、この文章が役に立ったらいいな。
新生活を始めた人が、いろんなことに気づいて元気になれますように。
もちろん私も、生きられますように。